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ミツワ石鹸(ミツワせっけん)は、1860年から1975年にかけて、日本国で石鹸・洗濯洗剤の製造販売を行っていたメーカーおよび同社の販売する石鹸のブランド、また、2008年に玉の肌石鹸により設立され2014年まで事業を行っていた石鹸のメーカーである〔ミツワ石鹸株式会社公式サイト 2015年1月27日閲覧〕。 旧会社は1975年に業績不振に陥って倒産し、事業は同社が旭電化工業、第一工業製薬と共同で設立した日本サンホームの後身であるプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム(P&Gサンホーム、現・P&Gジャパン)に継承された。 2007年に玉の肌石鹸が「ミツワ石鹸」の商標権を取得、2008年4月1日に、同社が全額を出資し、子会社として「ミツワ石鹸株式会社」を設立したが、2014年12月31日をもって事業の一部を玉の肌石鹸に譲渡して業務を終了した。 == 歴史 == * 1860年(万延元年)三輪善兵衛(みわ ぜんべえ)により江戸・日本橋(現在の東京都中央区日本橋)にて丸見屋が創業される〔現存している丸美屋食品工業とは無関係。〕。当初は化粧品の製造販売が中心だった。 * 1910年(明治43年)ミツワ石鹸の発売を開始。これ以後、石鹸を中心に家庭用洗剤・医薬品(大衆薬)・医薬部外品を中核にする。 * 1911年(明治44年)日本初の肝油ドロップを発売〔戦後間もなくして開発元の河合製薬へと製造・販売が移管された。〕。 * 1953年(昭和28年)日本初の薬用石鹸「ミューズ」発売。 * 1954年(昭和29年)テレビCMを放送開始。バトンガールと呼ばれる3体の人形を使用し、三木鶏郎作曲の、覚えやすい特徴的な歌に合わせ、踊っているうちにミツワ石鹸の商標を表すものだった〔人形アニメーションはNHK『三国志』なども手がけた川本喜八郎によるもの。〕。 * 1964年(昭和39年)正式社名をミツワ石鹸株式会社に変更。 * 1969年(昭和44年)旭電化工業、第一工業製薬と合弁で家庭用石鹸・洗剤部門を統合した日本サンホームを設立。 * 1972年(昭和47年)米国プロクター・アンド・ギャンブル社(P&G)との資本・業務提携に反対したことから日本サンホームを離脱。上記2社との合弁・提携を解消するも、日本サンホーム向け製品は引き続き子会社のミツワ化成が生産した〔同年、日本サンホームはP&G、伊藤忠商事と合弁でプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム(P&Gサンホーム)を設立。P&G社製品の取扱を開始する。〕。 * 1975年(昭和50年) 事業継続を断念し倒産。同社の生産設備及び商標権は旧日本サンホームとの関係からP&Gが取得した〔P&Gが『ミューズ』ブランドを使用しているのは日本だけだったが、2008年5月に『ミューズ』の事業をレキッド・ベンキーザー・ジャパンに譲渡し(現在の『ミューズ』の発売元はレキッド・ベンキーザーと業務提携しているアース製薬)、これにより、日本におけるP&Gはミツワ石鹸、第一工業製薬(モノゲン)時代の商品から完全撤退した。〕〔P&Gの洗濯用洗剤『ボールド』の初期ネーミング案には、ミツワの洗剤ブランドだった『プラス』という候補もあった。〕。 * 2007年(平成19年) 玉の肌石鹸(墨田区)が「ミツワ石鹸」の商標権をP&Gから取得。 * 2008年(平成20年)4月1日 同社が全額を出資し、子会社のミツワ石鹸株式会社を設立・業務開始し、33年ぶりに「ミツワ石鹸」が復活した〔玉の肌石鹸とミツワ石鹸の創業家は、古くから関係が深かったという。Seesaa BLOG ミツワ石鹸への想い 三輪家と三木家の関係 〕。 * 2014年(平成26年)12月31日 玉の肌石鹸に事業の一部を譲渡して廃業。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミツワ石鹸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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