|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 自動 : [じどう] 1. (adj-na,n) automatic 2. self-motion ・ 自動車 : [じどうしゃ] 【名詞】 1. automobile ・ 動 : [どう] 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion ・ 車 : [くるま] 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel
ミツワ自動車(みつわじどうしゃ、''Mizwa Motors'' 〔1991年までの英文表記は''Mitsuwa Motors'' 〕)は、東京を拠点に外国車の輸入・販売を行なっていた企業であり、名古屋を拠点にパチンコ機種を製造・販売する奥村遊機の関連会社である〔平成23年7月19日現在 会社概要(奥村遊機)〕。 ポルシェを初めて日本に輸入したことで知られるほか、かつてはパッカード、ランボルギーニ、サーブなどの輸入販売や、アウディのディーラー経営なども行なっていた。 == 概要 == 自動車の輸入販売会社「三和自動車(みつわじどうしゃ)として昭和30年代に設立され、その後の高度経済成長の波にのって事業を拡大、ポルシェの輸入代理店として、1994年には206億円を売り上げていた〔。 漢字表記による当初の社名は「さんわ」と読まれて、三和銀行グループ(当時)と混同されることが多かったといい、1990年のCI導入にあたってカタカナ表記による現在の「ミツワ自動車」に社名変更している〔。 日本でのポルシェはミツワ自動車による輸入販売体制のもと、1990年秋に発売された1991年モデルから全シリーズに右ハンドル仕様が用意された〔ミツワが91年モデル、ポルシェ全車種に右ハンドルを設定 『日経産業新聞』 平成2年9月3日 9面〕ほか、1995年にはそれまで1,000万円超であったポルシェ・911の新車価格を910万円に引き下げるなど、日本におけるポルシェのユーザー層拡大に努めた〔。 一方、独ポルシェAGが設立した日本法人ポルシェジャパンは1995年、1997年末をもって輸入契約を解除する旨をミツワ自動車に通告した〔。これを不服とするミツワ自動車は、契約解除通告の無効と輸入権継続を求めてドイツ・シュトゥットガルトの裁判所に提訴するなどしたものの棄却され、1997年12月末をもってポルシェの輸入業務から撤退した〔ミツワ自動車、ポルシェ車輸入、独社と和解 -日本法人と販売契約へ 『日経産業新聞』 平成10年1月13日 13面〕。 ミツワ自動車はこの時点で年間2,000台以上のポルシェを販売、首都圏の顧客中心に全体の約60%を握り、アフターサービスの対象となるポルシェは15,000台以上に上っていた〔。ミツワ自動車は「顧客へのアフターサービスと従業員の生活のため」、一ディーラーとしてでもポルシェ事業を継続することに決定、ポルシェジャパンと新たに販売店契約を締結し、1998年1月以降も東京、大阪などにあった販売拠点の全てをポルシェ正規ディーラーとして継続させた〔。 しかしながら、ミツワ自動車ではこれ以降、取り扱い車種や事業内容が頻繁に変更され、2011年には代表的な営業拠点として最後まで残っていた六本木支店が閉鎖されたことで輸入車の新車販売からは事実上の撤退となった。継続されている事業には、旧車のレストアや整備、小規模な中古車販売などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミツワ自動車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|