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株式会社ミドリ十字(ミドリじゅうじ、英文:''Green Cross Corporation'')は、かつて存在した日本の医薬品メーカー。医師(元軍医・陸軍中佐)の内藤良一らが創業したベンチャー企業であった。1950年11月に民間血液銀行日本ブラッドバンクとして設立され、1964年に血液売買部門を廃止して血液を原料とした医薬品専業メーカーに転換、株式会社ミドリ十字に商号を変更する。本店・工場は大阪府大阪市城東区に所在した。なお、現在の東京証券取引所に上場していた。 == 会社概要 == * 1950年11月20日、岡野清豪を取締役会長、内藤良一を代表取締役専務取締役、小山栄一を常務取締役として、日本最初の血液銀行「日本ブラッドバンク」が創業された。創業当時の本社及び本社工場は大阪府大阪市城東区蒲生町に置かれた。 * 当初輸血用血液の売買を主としており、まず大阪と神戸に採血プラントが設置された。 * 創業当時の製品は乾燥人血漿、血液型判定用血清、クエン酸塩加人全血液の3品目であり、本社工場では乾燥人血漿、血液型判定用血清が、大阪と神戸の採血プラントではクエン酸塩加人全血液が製造された。 * 各地に中小の血液銀行が乱立し、競争が激化するに連れ人工血液製剤への移行を模索した。 * 1957年7月17日に大阪証券取引所に初上場した。株主優待として株主様ご優待券を発行しており、優待券の枚数に応じて「プラスマ-BBank」等の製品を割引価格で販売していたが1974年厚生省の行政指導により取りやめとなった。 * ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年8月に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。 * 1982年、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた〔『いまから20年前、ミドリ十字に「厚生省事務次官を、社長ないし社長待遇副社長で天下りさせろ」と厚生省が持ちかけました。ところが、ミドリ十字は大坂の会社で、東京の会社と違って政治意識が乏しいですから、けんもほろろに断った。すると、厚生省から徹底的にいじめられた。これにミドリ十字は音を上げて、厚生官僚の天下りを半ダースいっぺんに受け入れた。その連中の中に今度辞めた社長もいます。官のやり方は、まず、いじめるんです。いじめていじめて音を上げさせて、次に利を持って天下る。』 谷沢永一・渡部昇一「誰が国賊か」 1996年 クレスト社 ISBN 978-4877125103〕。 * ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミドリ十字」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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