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ミナレット(Minaret)は、モスクやマドラサなどのイスラム教の宗教施設に付随する塔。塔の上からはイスラム教徒に礼拝(サラート)を呼びかけるアザーンが流される。初期イスラーム世界では、ミナレットはイスラームの権威の象徴となっていた〔杉村「ミナレット」『新イスラム事典』、471-472頁〕。 ミナレットはアラビア語で「火、光を灯す場所」を意味するマナーラ (منارة manāra) が英語に転訛した言葉である〔。アラビア語では「光(ヌール)」「火(ナーラ)」から派生したマナール (منار manār) あるいはマナーラ (منارة manāra) のほか、「アザーンを行う場所」を意味するマアザナと呼ばれることもある。トルコ語では「ミナレ(Minare)」と呼ばれ、エジプトやシリアでは「マダーナ(Ma'dhana)」「ミダーナ(Mi'dhana)」、北アフリカでは「サウマアー(Șawma'a)」とも呼ばれる〔村田「ミナール」『アジア歴史事典』8巻、405頁〕。南アジアではミーナール (مينار mīnār) とも呼ばれる。日本語では「光塔」「尖塔」と訳されることもある〔深見『イスラム建築がおもしろい』、42-43頁〕。 == 歴史 == 起源については不明であるが、シリア地方のキリスト教の教会に付設されていた鐘楼を転用したとする説があり、 また語源からシリア・エジプトの沿岸部にあった灯台や砂漠に立てられた目印の塔を起源とするとも考えられている〔〔。7世紀の時点ではミナレットは建てられておらず、礼拝の呼びかけは屋根の上で行われていた〔。705年にウマイヤ朝のカリフに即位したワリード1世はマディーナ(メディナ)の預言者のモスクの改築を行い、改装されたモスクの四隅に一辺4m、高さ25m超のミナレットが備えられていたと伝えられている〔羽田『モスクが語るイスラム史』、52-54頁〕。 8世紀から10世紀にかけて角柱状の塔がイランからイベリア半島にわたる広範な地域で建てられ、スペインの南部にはキリスト教教会の鐘楼に転用されたミナレットもある〔。9世紀の一時期にはイラク、エジプトでマルウィヤ・ミナレットなどの螺旋状のミナレットが建てられ、それらのミナレットはバベルの塔をモデルにしていると言われている〔深見『イスラーム建築の見かた』、89頁〕。11世紀に中央アジア、イランに円柱状の塔が現れ、12世紀以後に二基一対の型(ドゥ・ミナール)が流行した〔。セルジューク朝で考案されたドゥ・ミナールは、イランから離れたインドやアナトリア半島に伝播する〔深見『イスラーム建築の世界史』、83-84頁〕。デリーのクトゥブ・ミナールには円柱状の塔、鰭状のフリンジ、アラビア語の銘文、ムカルナス、そしてドゥ・ミナールといったイランの建築様式の影響が見受けられる〔深見『イスラーム建築の世界史』、101-102頁〕。 15世紀のオスマン帝国時代に細く先が尖った鉛筆型のミナレットが主流になる〔。オスマン帝国はイスタンブルの聖ソフィア大聖堂をモスクに転用した後、4本のミナレットを増築している。 イラン、トルコなどの地域で複数のミナレット建てられたことを契機として、ミナレットの役割は従来の礼拝の呼びかけを行う場から建築装飾に変化していった〔深見『イスラーム建築の見かた』、100頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミナレット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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