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ミナ・キュナード(, 1894年12月16日 - 1978年8月9日)は、アメリカ合衆国の女優である〔Mina Cunard, Internet Movie Database , 2010年7月12日閲覧。〕。出生名は不明であるが、結婚後の本名はミナ・キュナード・シーモア()となった〔Mina Cunard, Find A Grave , 2010年7月12日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == オハイオ州コロンバスに生まれる〔。1歳上の姉はのちに女優・脚本家となったグレイス・キュナードである〔。 1915年、姉のグレイスが在籍し、すでにスターとなっていたユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に入社、姉がコンビを組むフランシス・フォードが監督・主演する短篇西部劇 ''And They Called Him Hero'' に出演したのが、もっとも古い映画への出演記録である〔。同年、同コンビによるシリアル・フィルム『名金』(別題『金貨のかけら』)に役を得て出演、姉グレイスの代役も務めた〔。同作は日本では『マスター・キイ』に次ぐ連続活劇第2弾として公開され、作品は爆発的な人気を呼んだ〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.254-255.〕。以降、同社が量産する短篇映画に多く出演し、いくつかでは主演も務めた〔。 1916年、同年にユニヴァーサル傘下に設立されたブルーバード映画でも、チャールズ・スウィッカード監督の『双生児』に助演〔、同作は日本でも公開された〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.〕。1919年にはユニヴァーサルを去り、時期は不明であるが俳優のハリー・シーモアと結婚している〔。 トーキーの時代となり、1943年、24年ぶりに映画界に復帰、レイ・エンライト監督の ''Good Luck, Mr. Yates'' やジーン・ネグレスコ監督の『復讐! 反ナチ地下組織 / 裏切り者を消せ』にノンクレジットで出演している〔。同2作以降はふたたび出演記録はなく、さらに11年後の1955年、ヘンリー・キング監督の『野性の女』に出演した以降は、20世紀フォックス作品にクレジットなしで出演した〔。1958年、ジーン・ネグレスコ監督の『愛の贈物』が最後の出演記録である〔。 1967年11月11日、夫シーモアと死別する〔, 2010年7月12日閲覧。〕。 1978年8月9日、カリフォルニア州ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズで死去した〔。満83歳没。同市内にあるマウント・サイナイ・メモリアル・パーク墓地で、夫シーモアと並んで眠る〔。墓碑銘には「最愛なる妻、母、祖母」と刻まれた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミナ・キュナード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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