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ミヒャエル・プレトリーウス : ミニ英和和英辞書
ミヒャエル・プレトリーウス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ミヒャエル・プレトリーウス ( リダイレクト:ミヒャエル・プレトリウス ) : ウィキペディア日本語版
ミヒャエル・プレトリウス[ちょうおん]

ミヒャエル・プレトリウス(Michael Praetorius、おそらく1571年2月15日 - 1621年2月15日)はドイツ作曲家オルガニスト音楽理論家。当時の最も多作で最も多彩な作曲家のひとり。プロテスタント賛美歌の発展においてとりわけ重要。プレトリウス一族の最も有名な音楽家である。
クロイツブルクに生まれ、トルガウやフランクフルト・アン・デア・オーダー、ツェルプストなどに学ぶ。フランクフルトのマリア教会オルガニストを務めた後、1604年からヴォルフェンビュッテル宮廷にてオルガニスト兼宮廷楽長に就任。1613年から1616年まで、ドレスデンザクセン宮廷に仕え、ヴェネツィア楽派複合唱様式による最新のイタリア音楽を演奏した。ジョヴァンニ・ガブリエーリのようなヴェネツィア楽派の作品を熟知していたおかげで、プレトリウスはその後に教会コンチェルト様式を発展させることができた。
プレトリウスは甚だ多作な作曲家であり、ザムエル・シャイトハインリヒ・シュッツ、同時代のイタリア音楽の影響を示している。プレトリウスの作品は、1000曲以上のコラールと賛美歌の編曲を含む9巻の曲集《シオンの音楽 ''Musae sioniae''》(1605-10年)などがある。そのほかは、ほとんどがルター派教会のための作品である。舞曲集《テルプシコーレ ''Terpsichore''》は、プレトリウスの現存する唯一の世俗音楽集である。3巻の論文集『音楽大全(シンタグマ・ムジクム) ''Syntagma musicum''』(1614-20年)は、同時代の演奏習慣や楽器について詳細な説明と図解がなされ、音楽学形態学研究や、古楽演奏の分野にとって、重要な文献となっている。
==関連項目==

*エサイの根より

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミヒャエル・プレトリウス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Michael Praetorius 」があります。




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