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ミマ11船団(ミマ11せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年9月に、ボルネオ島ミリからマニラへ出航した日本の護送船団である。マニラの情勢悪化のため約半数の船を選抜して高雄へ直行しようとしたが、アメリカ海軍潜水艦の攻撃で被害が続出し、途中で後続のマタ28船団(マタ28せんだん)に吸収された。マタ28船団も高雄を目指したが、再び潜水艦の攻撃による損害を受け、一部だけが目的地を変更して香港に到着した。 == 背景 == 太平洋戦争における日本の戦略上、占領した東南アジアからの石油の海上輸送は極めて重要であった。そこで、日本は、シンガポールと門司を結ぶ高速のヒ船団と、ボルネオ島ミリと門司をマニラ経由で結ぶ低速のミ船団の2種類の石油タンカー船団を設定し、シーレーン防衛を図っていた。しかし、バシー海峡周辺などに展開したアメリカ潜水艦の激しい攻撃にさらされ、大きな被害を出しつつあった。 一方、1944年(昭和19年)9月当時、フィリピンへの反攻作戦を目指すアメリカ軍は、着々と事前攻撃を進めていた。9月9日に第38任務部隊によりミンダナオ島を空襲、9月15日にはペリリュー島攻略とモロタイ島攻略を開始した。これに伴い、日本の石油船団に対する航空機の脅威も増大していた〔岩重(2012年)、92-93頁。〕。 こうした中でタンカー7隻を中心とするミマ11船団は計画された。船団名の「ミマ」とは、ミリ発・マニラ行きを意味している。1944年4月以降、ミリ発の石油船団はミ船団として運航されるのが通常であったが、ミマ11船団は本来はミ16船団(ミ船団としては欠番)に相当する船団であったものが例外的な運航形態に変更されたものとも言われる。岩重(2011年)によれば、ミ16船団の往航にあたる門司発ミリ行き便のミ15船団が途中のマニラで打ち切られ、マニラ発のマミ10船団として再編のうえミリへ到着したため、復航もミ16船団ではなくミマ11船団として編成したと推定される〔。ミリ産の石油製品を満載したタンカー以外に7隻の輸送船が加入し、海防艦3隻と駆潜艇1隻の護衛が付くことになった。船団の指揮は、第12運航指揮官の篠田清彦大佐が執った〔『自昭和十九年九月一日 至昭和十九年九月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』、画像35、54枚目。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミマ11船団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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