|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 民 : [たみ] 【名詞】 1. nation 2. people ・ 民族 : [みんぞく] 【名詞】 1. people 2. race 3. nation 4. racial customs 5. folk customs ・ 民主 : [みんしゅ] 【名詞】 1. democratic 2. the head of the nation ・ 主 : [ぬし, おも] 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god ・ 同 : [どう] 【名詞】 1. the same 2. the said 3. ibid. ・ 同盟 : [どうめい] 1. (n,vs) alliance 2. union 3. league ・ 同盟軍 : [どうめいぐん] (n) allied armies ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops
ミャンマー民族民主同盟軍(中国語:緬甸民族民主同盟軍または果敢民族民主同盟軍、英語:Myanmar Nationalities Democratic Alliance Army、英語略MNDAA)は、ミャンマー北東部シャン州のコーカン地区での武装勢力・特別区正規軍・反乱軍。ミャンマー政府とたびたび武力衝突と停戦を繰り返してきた。コーカン地区は、中国雲南省と国境を境にし、また、コーカン族は中国系移民である。同地区は中国語圏である。中国語表記の緬甸はミャンマーを示し、果敢はコーカンを示す。なお「全国ミャンマー民主同盟軍」と訳される場合もある。日本の報道では「少数民族コーカン族の武装勢力」などと意訳して報じられる事も多い。 ==概要== 瓦解したビルマ共産党から分離独立する形で1989年に勇敢王とあだ名された彭家声将軍(1931年2月5日-,ポンチアーシェン)によって設立された武装集団〔NEITHER WAR NOR PEACE THE FUTUREOF THE CEASE - FIRE AGREEMENTS IN BURMA(TRANSNATIONAL INSTITUTE) 〕。コーカン族は元々兵士としての評価が高く、勇敢かつ純情とさえてきた。ミャンマー中央政府からコーカン地区の自治権および優先的開発を提示されると、人口15万~18万程度のコーカン地区は、そのまま帰順し、MNDAAも停戦に応じ、彭家声も特別区の首席に就任した。特別区の政治体制と実質表裏一体化し、現地の正規軍として振る舞った。その際の兵力はおよそ4000人だったが、反政府運動の拠点として活動していると見られミャンマー政府からの圧力や親中派・親ミャンマー派等の内紛、あるいは民需転換等で2000人以下まで減少したとみられる。2009年3月11日には、健軍20周年を記念する軍事パレードが行われ、その様子はYoutubeに投稿されている〔ミャンマー民族民主同盟軍・軍事パレード1/6(Youtube) 〕〔ミャンマー民族民主同盟軍・軍事パレード2/6(Youtube) 〕〔ミャンマー民族民主同盟軍・軍事パレード3/6(Youtube) 〕〔ミャンマー民族民主同盟軍・軍事パレード4/6(Youtube) 〕〔ミャンマー民族民主同盟軍・軍事パレード5/6(Youtube) 〕〔ミャンマー民族民主同盟軍・軍事パレード6/6(Youtube) 〕。軍事パレードには、同盟軍軍服を着た、同地区副主席の彭徳仁が開会挨拶及び司会進行しており同地区行政府が同盟軍と一体化していた事が確認できる。なお、画質および映写角の関係で台湾国旗に見えるものは、当時のミャンマーの国旗(翌年現行に変更)である。同式典には観兵を受ける宇三参謀長および観兵する初老の彭家声首席の様子が映し出され、彭家声が軍幹部と紹介されている事から、年齢から軍一線を引いている可能性がある。同式典には、各国政府からも参列しており、同盟軍が現地正規軍として扱われていたことが伺い知れる。しかし、反乱軍化したのは同地区で長年行っていたケシ栽培がミャンマー政府によって徐々規制され経済的に豊かだった同地域が、苦境・飢餓が発生するようになり〔シャン州北部地域における麻薬撲滅に向けた農村開発プロジェクト(JICA) 〕〔ミャンマーに対するWFP(国連世界食糧計画)を通じた緊急食糧支援について(外務省) 〕、2009年8月8日にケシの関連工場の摘発時に突発的衝突が発生してからである。それが大規模な軍事衝突・反乱に結び付いた。ミャンマー政府軍の圧勝に終わった。難民3万7000人が中国に避難するようになりコーカン地区の支配権を失う。およそMNDAA兵士700人が中国当局に投降する形で戦闘終結した。指導者の彭家声もこの際に行方をくらましたとされる〔不透明さ増すミャンマー情勢(日本貿易振興機構) 〕。2015年2月には支配地域奪還を狙った侵攻を開始し、2015年2月27日の時点で「中越国境地帯の紛争、激化」とロシアメディアは伝えている〔中越国境地帯の紛争、激化 〕。それによれば、2月10日には難民化した10万人が中国に越境し、2月17日には現地に非常事態宣言が発令され、不穏な状況はコーカン地区以外にまで広がっているとされる。一部メディアからは、中国政府が背後で武器提供や傭兵提供をミャンマー政府は指摘しており、中国政府はそれを否定するコメントを発している〔ミャンマーにクリミア型侵略? 中国系住民と共産党の「絆」(ニューズウィーク) 〕〔「中国人傭兵が戦闘に参加」 コーカン族との戦闘でミャンマー国軍が批判(産経) 〕〔Myanmar Kokang Rebels Deny Receiving Chinese Weapons(Radio Free Asia) 〕。ミャンマーにクリミア型侵略などとも報じられている。 2016年1月現在、MNDAA軍はコーカン地区の北端にてミャンマー政府軍との戦闘を継続しており、度々の政府軍の攻撃にも耐え、紅岩地区で政府軍と対峙している。未だ遊軍がコーカン地区中部のKonkyan、Tarshwetan付近に出没し、政府軍へのゲリラ戦を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミャンマー民族民主同盟軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|