翻訳と辞書
Words near each other
・ ミュスタイア
・ ミュセドーラス
・ ミュゼ
・ ミュゼカ
・ ミュゼット
・ ミュゼプラチナム
・ ミュゼプラチナムオープン
・ ミュゼ・ドルセー駅
・ ミュゼ・ド・サクラ
・ ミュッケ
ミュッセ
・ ミュッセンブルーク
・ ミュッテルソルツ
・ ミュティネレ
・ ミュティレネ
・ ミュティレネのラオメドン
・ ミュティレネの反乱
・ ミュトス
・ ミュナ県
・ ミュニ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ミュッセ ( リダイレクト:アルフレッド・ド・ミュッセ ) : ウィキペディア日本語版
アルフレッド・ド・ミュッセ

アルフレッド・ルイ・シャルル・ド・ミュッセAlfred Louis Charles de Musset, 1810年12月11日 - 1857年5月2日)は、フランスロマン主義作家小説戯曲などを広く手がけた。
サン=ドニで貴族の家系に生まれる。詩・芝居・小説など多くの分野で活躍、とくに演劇ではロマン主義演劇の代表者とされる。
1830年、戯曲「ヴェネチアの夜」初演で大ブーイングを受けた。これがきっかけで「読まれるための戯曲」(レーゼドラマ)を書き続けることになる(それらが収められた戯曲集は「肘掛椅子の中での観物」というタイトルが付けられた)。ミュッセの戯曲は初期のものを除いて、散文劇が多いのが特徴である。
1833年、彼は女流作家ジョルジュ・サンドに出会い交際を始める。ミュッセはまたそれを基にして長篇小説『世紀児の告白(La Confession d'un enfant du siècle, 1836』を書いた。
1857年、47歳のとき大動脈疾患と過剰なアルコール摂取により、その短い生涯を閉じた。
==参考文献==
野内良三、『人と思想――ミュッセ』、清水書院、1999年
ベルデット・ショブロン、『赤く染まるヴェネツィア』、持田明子訳、藤原書店、2000年
Alfred de Musset, ''Lorenzaccio'', Flammarion, 2012

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフレッド・ド・ミュッセ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alfred de Musset 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.