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新宿TOKYU MILANO(しんじゅくとうきゅうみらの)は、東京都新宿区歌舞伎町一丁目に所在する複合娯楽施設である。株式会社東急レクリエーションが運営している。 建物は新宿TOKYU MILANOビル(旧 新宿東急文化会館)と新宿ミラノ新館からなる。新宿TOKYU MILANOビルでは新宿ミラノ座(旧 新宿ミラノ1)・新宿ミラノ2(旧 新宿東急)、シネマスクエアとうきゅう、新宿ミラノボウルなどが営業し、かつては東京スケートリンクも入居していた。新館には新宿ミラノ3(旧 名画座ミラノ→シネマミラノ)、アドアーズミラノ店が入っていた。本項ではこれらについても記述する。 映画館などは2014年末をもって閉鎖された。 == 沿革 == * 1956年(昭和31年) * 3月29日 - 新日本興業株式会社が新宿東急文化会館を起工〔映画年鑑 1957年版 p.312〕。 * 11月30日 - 新宿東急文化会館が竣工する〔〔「新宿東急文化会館の電気工事」 p.26、『電設工業』1957年1月号〕。 * 12月1日 - 渋谷東急文化会館開業と同日〔(ヨミダス歴史館で閲覧)〕、東京都新宿区歌舞伎町748番地〔映画便覧 1958年版 p.8〕に新宿東急文化会館が開業〔映画年鑑 1958年版 p.368〕。ミラノ座(現 新宿ミラノ1)、新宿東急(現 新宿ミラノ2)が営業を開始〔。最初の上映作品は『放浪の王者』(監督マイケル・カーティス、配給パラマウント映画)であった〔。 * 1957年(昭和32年)12月21日 - 地下1〜2階に新宿味の街を建設し、飲食事業を開始。 * 12月20日 - 東京スケートリンク、リンク開きが行われる〔。 * 1965年(昭和40年)12月1日 - 新宿ミラノ新館が開館し〔〔〔、総合レジャービルとしての営業が始まる〔。 * 1967年(昭和42年) * 4月 - 東京スケートリンク閉鎖〔。 * 12月1日 - 東京スケートリンク跡にボウリング場・新宿ミラノボウルが開業〔〔。 * 1971年(昭和46年)11月30日 - 新宿ミラノ新館内で営業していたダンスミラノを閉鎖し〔、名画座ミラノ(現 新宿ミラノ3)が開業〔。 * 1978年(昭和53年)7月1日 - 住居表示実施により、所在地が歌舞伎町748番地から歌舞伎町一丁目29番地1号に変更される。 * 1981年(昭和56年)12月11日 - 本館3階にシネマスクエアとうきゅうが開業〔(ヨミダス歴史館で閲覧)〕。最初の上映作品は『ジェラシー』(監督ニコラス・ローグ、日本配給日本ヘラルド映画)であった〔。 * 1982年(昭和57年)12月4日 - 新宿ミラノ座にて『E.T.』(監督スティーヴン・スピルバーグ、配給ユニバーサル・ピクチャーズ)が公開。約半年に及ぶロングランヒットを記録する。 * 1987年(昭和62年)9月 - 名画座ミラノをシネマミラノへ名称変更〔。 * 1996年(平成8年)11月15日 - 新宿東急文化会館が新宿TOKYU MILANOに名称変更し、リニューアルオープン〔。 * 1997年(平成9年)3月31日 - ファミリーマート西武新宿駅前店開業〔〔。 * 2006年(平成18年) *6月1日 - 新宿ミラノ座・新宿東急・シネマミラノを、それぞれ新宿ミラノ1・2・3へ名称変更。 *12月1日 - 開館50周年。 * 2010年(平成22年) - 新宿ミラノ2に3Dデジタルシネマ(MasterImage 3D)を導入。 * 2014年(平成26年) * 5月13日 - 東急レクリエーションが、新宿TOKYU MILANOにある全ての直営事業所の閉鎖を発表〔。 * 11月21日 - さよならイベントを前に、新宿ミラノ1の名称を長年親しまれた「新宿ミラノ座」に戻す。 * 12月31日 - 直営事業所(新宿ミラノ座・新宿ミラノ2・3、シネマスクエアとうきゅう、新宿ミラノボウル、ファミリーマート西武新宿駅前店)が閉鎖〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新宿TOKYU MILANO」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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