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ミリアム・オレマンス(Miriam Oremans, 1972年9月9日 - )は、オランダ・北ブラバント州出身の元女子プロテニス選手。2000年シドニー五輪の女子ダブルスで銀メダルを獲得した選手である。1992年のウィンブルドン混合ダブルス部門で、同じオランダのヤッコ・エルティンとペアを組んだ準優勝もある。キャリアを通じてウィンブルドン選手権を最も得意にした。WTAツアーでシングルスの優勝はなかったが、ダブルスで3勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス25位、ダブルス19位。 == 来歴 == 1989年にプロ入り。1990年の全米オープンで予選3試合を勝ち上がり、本戦デビューを果たす。1992年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのオランダ代表選手となり、現役引退する2003年までフェド杯代表の座を維持した。この年、オレマンスはウィンブルドンの混合ダブルスで活躍した。オランダの先輩選手ヤッコ・エルティンとペアを組んだオレマンスは、決勝でシリル・スーク(チェコ)&ラリサ・ネーランド(ラトビア)組に 6-7, 2-6 で敗れて準優勝になった。ウィンブルドンの女子ダブルスでも、1997年にサビーネ・アペルマンス(ベルギー)と組んで準決勝に進出している。 オレマンスは4大大会のシングルスでも、ウィンブルドンで好成績を出し、1993年と1998年の2度4回戦に進出した。1993年の4回戦では、この大会の準優勝者になったヤナ・ノボトナに 5-7, 6-4, 4-6 のフルセットで惜敗している。1994年は全仏オープン1回戦で、この年限りでのシングルス引退を表明していた37歳のマルチナ・ナブラチロワを破る活躍があった。1998年ウィンブルドンでは、オレマンスは5年ぶり2度目の4回戦でナターシャ・ズベレワに敗れている。ウィンブルドン以外の4大大会では、いずれも3回戦進出が自己最高成績であった。 シドニー五輪が開かれた2000年、オレマンスは年頭の全豪オープンで7年ぶり2度目の3回戦に進出し、第4シードのマリー・ピエルスに敗れた。オリンピックでは、シングルスは2回戦でモニカ・セレシュに敗れたが、クリスティ・ボーグルトとペアを組んだ女子ダブルスで決勝に進出する。2人は準決勝でベラルーシ代表のナターシャ・ズベレワ&オリガ・バラバンシコワ組を破ったが、決勝ではビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹組に 1-6, 1-6 で完敗した。オレマンスとボーグルトはオリンピックのオランダ代表選手として、史上初めてのテニス銀メダルを獲得したことになる。 ミリアム・オレマンスは2002年のシーズンを最後に、女子テニスツアーから引退した。最後の年も、ウィンブルドンではエレニ・ダニリドゥ(ギリシャ)との3回戦まで勝ち進んでいる。2002年全米オープンが、オレマンスの最後のツアー出場になった。シングルスでは1回戦でペトラ・マンデュラ(ハンガリー)に敗れ、一緒に五輪銀メダルを獲得したクリスティ・ボーグルトとのダブルスでは2回戦で敗退した。フェドカップには2003年4月まで出場を続け、オランダのフェド杯代表選手として最長記録となる「12年連続出場」の偉業を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミリアム・オレマンス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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