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ミリケンズベンドの戦い(ミリケンズベンドのたたかい、)は、南北戦争3年目の1863年6月7日、ビックスバーグ方面作戦の一部としてルイジアナ州マディソン郡で行われた戦闘である。南軍のジョン・C・ペンバートン中将とその軍隊が、ミシシッピ州ビックスバーグで、北軍指揮官ユリシーズ・グラント少将とテネシー軍に包囲されていた。 南軍はグラント軍の補給線を遮断し、ビックスバーグ市を解放しようとして、ミシシッピ川のミリケンズベンドで北軍の補給所を攻撃した。ミリケンズベンドの地域はビックスバーグの北西15マイル (24 km) にあり、グラントのビックスバーグ方面作戦では最近まで出発地点として機能していた。補給基地と病院があり、その多くは解放された奴隷から最近徴募されたばかりのアフリカ系アメリカ人兵士によって駐屯防御されていた。 この戦闘は比較的小規模のものだったが、黒人兵が軍事的に訓練も無いまま、さらに武器も劣っていた中で勇敢に戦い、砲艦の助けもあって最終的に南軍を撃退したことで意義あるものとなった。 == 背景 == アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスは、グラントの6万名の軍隊によって閉じ込められたペンバートンとその4万名の軍隊を救うために、大きな政治的圧力を受けていた。ビックスバーグとはミシシッピ川を隔てて対岸のルイジアナ州側(西岸)にあるグラントの供給線が脆弱であるという考えの下、デイヴィスはミシシッピ圏方面軍指揮官エドマンド・カービー・スミスに、その補給線を破るべく部隊を派遣するよう指示した。グラントは、デイヴィスにもスミスにも知られないままに、補給線をビックスバーグの上流、ミシシッピ川の東岸に移していた。 スミスはリチャード・テイラー少将にこの攻撃を行うよう命令した。スミスはその目的のために「ウォーカーのグレイハウンド」とも呼ばれるジョン・ジョージ・ウォーカー少将のテキサス師団をテイラーの指揮下に置いた。テイラーは地形に湿地の多いことと、北軍の補給線が今でも存在しているか不確かであることを挙げて、その作戦に反対した。テイラーはその代わりにウォーカーの師団を率いて南に行き、脆弱になっているニューオーリンズ市を攻撃する案を好んだ。北軍ナサニエル・バンクス少将のメキシコ湾岸軍がその大半を率いてポートハドソンの包囲に向かったために、ニューオーリンズ市は防御が薄くなっていた。スミスはテイラーの作戦を拒否したので、テイラーは渋々ながらウォーカーとその部隊を率いて出発し、ルイジアナ州アレクサンドリアからレッド川を降ってウォシト川に行き、そこから北のリッチモンドに向かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミリケンズベンドの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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