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『ミリンダ王の問い』(''Milinda Pañha'', ミリンダ・パンハ)は、仏典として伝えられるものの一つであり、紀元前2世紀後半、アフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世と、比丘ナーガセーナ(那先)の問答を記録したものである。パーリ語経典経蔵の小部に含まれるが、タイ・スリランカ系の経典には収録されていない(外典扱い)。ミャンマー(ビルマ)系には収録されている。 戦前のパーリ語経典からの日本語訳では、『弥蘭王問経』『弥蘭陀王問経』(みらん(だ)おうもんきょう)とも訳される。 == 概要 == インド・グリーク朝は、アレクサンドロス3世(大王)による大遠征の後、その遺民たちにより、アレクサンドロスのディアドコイ(後継者)の地位を巡って引き起こされたディアドコイ戦争の中で建国されたセレウコス朝シリアと、インドのマウリヤ朝の覇権が衝突する狭間で、バクトリアの地を拠点に自立したギリシャ人国家であるグレコ・バクトリア王国が、マウリヤ朝の衰退に乗じて北インドに侵攻し、後に分裂することで生じた国家である。その第8代目の王に当たるメナンドロス1世(ミリンダ王)は、この王朝で最も有名な王である。 原典は紀元前1世紀頃までに成立したと考えられ、その内容の素晴らしさから説教本・教科書として各部派に普及・継承された。伝統的な漢訳経典である『那先比丘経』(なせんびくきょう)〔東晋代に成立。二巻本および三巻本。いずれも訳者不明。漢訳『大蔵経』では論集部に収録(大正蔵1670)。〕は原典に近い簡素な内容だが、パーリ語経典の『ミリンダ・パンハ』は、比丘を対象とした煩瑣な哲学的議論が付け加えられていき、原典の6倍程度の量に増広されながら5世紀頃に現在の形にまとまった。その5世紀頃のパーリ語経典の注釈者であるブッダゴーサは、この書の内容を評価して準経典として扱い、現在でもビルマ仏教では経典の1つとして認められている。〔『世界の名著1』中央公論社 p55-56〕 メナンドロス1世(ミリンダ王)は、漢訳経典では弥蘭、あるいは弥蘭陀王と音写される。 内容は、仏教教理などについての問答であり、最後にはミリンダ王は出家して阿羅漢果を得たとされている。当時の仏教とギリシア思想との交流を示す重要な資料の一つであり、また後に、当地にギリシア美術が混じったガンダーラ美術が、クシャーナ朝に至るまで花開き、それら仏教文化が中国・日本にまで伝播してくることになる、そんな歴史の大きなダイナミズムの一端を、垣間見せてくれる資料でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミリンダ王の問い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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