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ミルウォールFC : ミニ英和和英辞書
ミルウォールFC[みるうぉーるえふしー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
F : [えふ]
 ファロー四徴(症)

ミルウォールFC : ウィキペディア日本語版
ミルウォールFC[みるうぉーるえふしー]

ミルウォールFCMillwall Football Club)はイングランドロンドンサザーク・ロンドン特別区バーモンジーを本拠地とするサッカークラブチーム。愛称は二匹のライオンが向かい合ったエンブレムから「ライオンズ」。チームのモットーは「俺たちはどこで戦おうとも敵を恐れない」という意味の「''We Fear No Foe, Where E’re We Go''」。ウェストハム及びレイトン・オリエントFCとライバル関係にあり、特にウェストハムとの試合は毎度暴動沙汰になる。
== 概要 ==
1885年に鉄商人が所有するジャム工場に勤務する労働者によってミルウォール・ローヴァーズ(''Millwall Rovers'')の名で創設された。millは風車の意味から転じて工場を指す。彼らの多くがスコットランドからの出稼ぎ人夫であったことが、白と青を基調としたユニホームの由来である。1894年のサウザンリーグ設立には中心チームとして参加し、1885/86,86/87シーズンには連覇も達成。1889にミルウォール・アスレティック(''Millwall Athletic'')に名称を変更し、初めてディビジョン1(当時の最上級リーグ)に昇格。
1920年にフットボール・リーグ・ディビジョン3に創立メンバーとして参加。25年に「アスレティック」を取り除き、現在の「ミルウォールFC」に簡略化する。1927/28シーズンにはディビジョン3(南部)の王者に輝き、ディビジョン2に昇格するも33/34シーズンに降格。37年には3部のクラブとしては初のFAカップ準決勝に進出。
長年に渡り低空飛行の期間が続いたが、1983年にジョージ・グラハムが39歳の若さで監督に就任すると2部に復帰。昇格後ジョージはアーセナルの監督に抜擢され、後任にはジョン・ドハーディ氏が選出される。ドハーディ氏はまだ経験が浅く不安視する声もあったが、テディ・シェリンガムを中心に1987/1988シーズンに初の一部昇格。それまでミルウォールはロンドンのクラブで唯一、創立後100年間において1部でのプレーがないチームであった。
1989/90シーズンにチームは再び二部に降格。翌シーズンにはエース、シェリンガムも移籍。1992年に昨シーズンまで選手として活躍したミック・マッカーシーが監督に就任。翌93年にはスタジアムを現在のニュー・デン・スタジアムに移転し心機一転、巻き返しを狙うも1995/96シーズンに再び3部へ降格。さらに不運は重なり財政悪化により、1997年に破産申請。以後、2部と3部を行き来し、マッカーシーから現在のケニー・ジャケット監督までの約20年間で監督が17回変わるなど不安定な戦いが続く。しかし、元イングランド代表デニス・ワイズが選手兼任で監督就任した2003–04シーズンはプレミアリーグ設立後で下部リーグ勢初となる、FAカップ決勝に駒を進めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミルウォールFC」の詳細全文を読む




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