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ミルコ・フィリポビッチ : ミニ英和和英辞書
ミルコ・フィリポビッチ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ミルコ・フィリポビッチ ( リダイレクト:ミルコ・クロコップ ) : ウィキペディア日本語版
ミルコ・クロコップ

ミルコ・クロコップMirko Cro Cop、男性、1974年9月10日 - )は、クロアチアキックボクサー総合格闘家ヴィンコヴツィ出身。チーム・クロコップ所属。PRIDE無差別級グランプリ2006王者。K-1 WORLD GP 2012王者。元クロアチア国会議員(2003年 - 2007年)。元警察官であり、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意。
総合格闘技の試合では立ち技主体で勝負するストライカーであり、ハイキックを武器に多くのKO勝利を挙げた。総合格闘技に適応した最初の本格ストライカーといわれており、ストライカーの弱点であるテイクダウンディフェンスと寝技を身に付けた。ミルコの活躍は総合格闘技界の技術体系を打撃偏重へシフトチェンジしたとも言える。2000年代初頭から2000年代半ば、特に全盛期であったPRIDE時代はヘビー級の打撃系総合格闘家として世界トップクラスの実力を誇り、総合格闘技界の最強ストライカーとして名を轟かせた。PRIDE参戦当初はK-1からの外敵といった悪役、ヒール的な存在であったが、PRIDEでの闘いを重ねていくにつれ、PRIDEのエース桜庭和志と肩を並べるほどの人気選手となり、PRIDEの主役ともいえる存在であった。
エメリヤーエンコ・ヒョードルアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと並んでPRIDEヘビー級三強と称された。
== 来歴 ==
ユーゴスラビアの都市、ヴィンコヴツィに生まれる。しかし少年期に暮らしていた町が民族紛争に巻き込まれ、友人たちが次々と死んでいくという過酷な経験をきっかけに格闘技を学び始めた。この時期のことをミルコは後年、「その頃の私は戦争に対する怒りに任せて、ひたすら体を鍛え続けるようになっていた。自分が強い男になってみんなを守り、もう誰も死なせないと心に誓ったからだ」と述懐している。当初は専門的なジムに通う経済的余裕も無く、ほぼ独学で空手、キックボクシングなどの習得に励んだ。この頃、鉄棒の両端に石を結び付けた手作りのバーベルで、ウエイトトレーニングをする様子を撮影した写真が残っている。
ミルコの弁によると15歳の頃に空手を始めたが、ユーゴスラビア紛争の激化により断念。紛争が収まった数年後にようやくトレーニングを再開、19歳でキックボクシングに転向したという。
幼少期から紛争地帯で凄惨な光景を目の当たりにしてきたためか、インタビュー内で「戦争は愚かで悲しいだけだ」と述べるなど、戦争に対する激しい嫌悪を公言している。ボブ・サップ戦の前日記者会見で当時開戦したばかりのイラク戦争に言及が及ぶと、涙ながらに反対を表明した〔ミルコ反戦、K−1平和訴える サップは異例の会見欠席 スポーツナビ 2003年3月29日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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