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ミルコ・ブチニッチ : ミニ英和和英辞書
ミルコ・ブチニッチ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ミルコ・ブチニッチ ( リダイレクト:ミルコ・ヴチニッチ ) : ウィキペディア日本語版
ミルコ・ヴチニッチ

ミルコ・ヴチニッチ(, , 1983年10月1日 - )は、ユーゴスラビア(現モンテネグロ)、ニクシッチ出身のモンテネグロ代表サッカー選手である。アル・ジャジーラ所属。ポジションはフォワード
== 経歴 ==

=== クラブ ===
地元クラブでプレーしていた2000年、当時USレッチェのスポーツディレクターだったパンタレオ・コルヴィーノにスカウトされレッチェに入団。2004年ズデネク・ゼーマンがレッチェの監督に就任すると次第にレギュラーで起用されるようになり、2004-05シーズンは29試合で19ゴールを挙げセリエA得点王争いで5位につけるなど才能を開花させる(得点王は24得点を挙げたクリスティアーノ・ルカレッリ)。しかし翌2005-06シーズンは怪我で出遅れ、31試合で9ゴールに終わる。
2006 FIFAワールドカップではセルビア・モンテネグロ代表に選出されるも、怪我のため離脱した。
2006年6月21日に750万ユーロでASローマレンタル移籍すると、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でゴールを決めるなど頭角を表し、シーズン終了後に移籍金750万ユーロでローマに移籍(ただしレッチェとの共同保有)。シーズン当初は左のウインガーとしてプレーしていたが、フランチェスコ・トッティが怪我で長期離脱するとワントップのセンターフォワードとして起用される。するとUEFAチャンピオンズリーグではスポルティングCP戦で決勝ゴールを決めるなど、ストライカーとしても活躍し見事にトッティの穴を埋めて見せた。チャンピオンズリーグ決勝トーナメント・対レアル・マドリード第2戦ではマンシーニに代わってピッチに立ち、彼を倒しにきたペペを退場に追い込むと1点目の基点となり、自身もロスタイムに決勝点を決めた。シーズンオフには新たに移籍金1200万ユーロでローマが保有権を買い取り、完全移籍となった。2008年11月4日チャンピオンズリーグチェルシー戦では2得点を記録し勝利に貢献。しかしアーセナルとの決勝トーナメント1回戦のPK戦ではPKを外してしまい、チームも敗退してしまった。2010年3月20日ウディネーゼ戦では自身初のハットトリックを記録した。4月18日SSラツィオとのローマダービーではPKと直接フリーキックで2得点を挙げ、チームの逆転勝利に貢献した。
2010-11シーズンはクラウディオ・ラニエリの解任以前は3トップの一角として、ヴィンチェンツォ・モンテッラの就任後はゼロトップ時代のように左サイドでプレー。2010年9月25日インテル戦では終了直前にダイビングヘッドで決勝点を挙げた。しかし、2011年4月16日パレルモ戦と4月19日のインテル戦と2戦続けて絶好機でシュートを外して敗戦の戦犯となり〔コッパ決勝進出を諦めないモンテッラ 「逆転は可能」 Livedoorスポーツ 2011年4月20日〕〔デ・ロッシ、コッパ決勝を諦めず Goal.com 2011年4月20日〕、最終的には10得点を挙げたもののサポーターからは大きなブーイングを受け、チームも6位に終わった〔インテル、コッパ・イタリア決勝進出に迫る Goal.com 2011年4月20日〕。
2011年8月1日ユヴェントスFCに移籍。移籍金は1500万ユーロ。当初の背番号は14番。ユヴェントスではアレッサンドロ・マトリと2トップを形成し、マトリに次ぐ9得点を挙げて9年ぶりのスクデット獲得に寄与した。背番号を9番に変えた2012-13シーズンも連覇の立役者として貢献するも、2013-14シーズンは自身の負傷とカルロス・テベスフェルナンド・ジョレンテといったFWにポジションを奪われたことで移籍を志願。2014年1月にフレディ・グアリンとのトレードでインテル・ミラノ移籍がほぼ決定だったが、インテルファンの反発を恐れたインテル会長エリック・トヒルが移籍を中断を命令したため成立しなかった〔グアリンとヴチニッチのトレードは破談、インテルが撤退 Goal 2014年1月22日〕。その後、アーセナル移籍の噂が浮上したものの結局残留。
2014年7月4日、アル・ジャジーラ・クラブに移籍決定。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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