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ミルツ・イフター(Muruse YefterもしくはMiruts Yifter,1944年5月15日 - )は、エチオピアの陸上競技長距離選手。 ミュンヘンオリンピックの男子10000mで銅メダルを獲得した。5000mにもエントリーしており、出場していれば金も期待されたが最終コール時間に遅れて出場出来なかった。 次のモントリオールオリンピックでは5000m、10000mでの2種目制覇が期待されていたが、アフリカ諸国の大量ボイコットにより出場辞退を余儀なくされた。35歳で迎えたモスクワオリンピックにおいて2種目制覇を達成した。このとき、表彰式後のインタビューで「この金メダルは世界の若者とアフリカ大陸に捧げたい」という言葉を述べた〔山田一廣『アベベを覚えてますか』壮神社、2004年、P273〕。 その走法はレース中、常に後方に控え、ラスト3~400mのラストスパートでトップに立つという勝負に徹したもので「イフタースパート」〔エチオピア人の名前においては「ミルツ」が本人の名前、「イフター」はいわゆる「姓(ファミリーネーム)」ではなく、父の名前であるため、本来は「ミルツスパート」と呼ぶべきである。詳細は人名#その他の文化圏における名前を参照。〕と呼ばれたが、その走法のため世界記録には縁がなかった。 1978年以降出場した国際レースでは1982年まで負け無しで、ヘンリー・ロノなどと並び70年代後半の最高の長距離ランナーのひとり。 ハイレ・ゲブレセラシェも自身の自叙伝的VTRの中で「彼は僕のヒーローさ。彼の走りを見て陸上を始めたんだ!」と語っている。 == 記録 == *5000m - 13分13秒82(1977年) *10000m - 27分40秒96(1972年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミルツ・イフター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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