翻訳と辞書
Words near each other
・ ミール
・ ミール (曖昧さ回避)
・ ミール (深海探査艇)
・ ミール (称号)
・ ミールの軌道離脱
・ ミールの長期滞在者一覧
・ ミールへの無人宇宙飛行の一覧
・ ミールを訪れた宇宙船・乗員の一覧
・ ミールサイト・スルタンガリエフ
・ ミールザープル
ミールザー・アズィーズ・コーカ
・ ミールザー・ギヤース・ベグ
・ ミールザー・グラーム・アフマド
・ ミールザー・サリーム・シャー
・ ミールザー・シャー・アッバース
・ ミールザー・ジャハーンギール・バフト
・ ミールザー・ジャワーン・バフト (シャー・アーラム2世の皇子)
・ ミールザー・ジャワーン・バフト (バハードゥル・シャー2世の皇子)
・ ミールザー・タギー・ハーン・アミーレ・キャビール
・ ミールザー・ダーラー・バフト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ミールザー・アズィーズ・コーカ : ミニ英和和英辞書
ミールザー・アズィーズ・コーカ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ミールザー・アズィーズ・コーカ : ウィキペディア日本語版
ミールザー・アズィーズ・コーカ[ちょうおん]

ミールザー・アズィーズ・コーカ(Mirzā Azīz Koka, 1542年 - 1624年)は、北インドムガル帝国の政治家。ハーニ・アーザム(Khan-i-Azam)とも呼ばれる。
==生涯==

1542年ムガル帝国の家臣アトガ・ハーンとその妻ジージー・アナガとの間に生まれた。父は皇帝フマーユーンが危地に陥った時に助けた命の恩人であり、母はその息子アクバルの乳母であった。彼はアクバルの乳兄弟であったため、乳兄弟を意味する「コーカ」の称号を得た〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.152〕。
1562年5月に父のアトガ・ハーンが殺害されたのち〔、1566年から翌年にかけてニザームッディーン・アウリヤー廟の横に父の墓廟チャウサト・カンバーを建設した。
ミールザー・アズィーズ・コーカはグジャラートマールワーベンガルの諸州の太守を歴任したばかりか、娘のハビーバ・バーヌー・ベーグムをアクバルの皇子ムラードに嫁がせた。彼らの間には2人の息子が生まれた。
1601年、老齢のアクバルに対して皇子サリーム(のちのジャハーンギール)が反乱を起こすと、ミールザー・アズィーズ・コーカとマーン・シングはサリームの息子フスローを推して対抗した〔クロー『ムガル帝国の興亡』、p.149〕。だが、結局は宮廷での会議により、フスローではなくサリームの継承を認めた〔クロー『ムガル帝国の興亡』、p.150〕。
1606年、皇帝ジャハーンギールに対してフスローが反乱を起こすと、ミールザー・アズィーズ・コーカがこれに対応し、鎮圧した。
1624年、ミールザー・アズィーズ・コーカは死亡し、その遺体は父と同じチャウサト・カンバーに埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミールザー・アズィーズ・コーカ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.