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ミールザー・ギヤース・ベグ : ミニ英和和英辞書
ミールザー・ギヤース・ベグ[ぎや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ギヤ : [ぎや]
 (n) gear, (n) gear

ミールザー・ギヤース・ベグ : ウィキペディア日本語版
ミールザー・ギヤース・ベグ[ぎや]

ミールザー・ギヤース・ベグペルシア語:مرزا غياث بيگ, Mirza Ghiyas Beg, 生年不詳 - 1622年1月)は、北インドムガル帝国の政治家・宰相。イティマード・ウッダウラ(ペルシア語:اعتماد الدوله, I'timād-ud-Daulah)の称号でも知られる。
==生涯==

ミールザー・ギヤース・ベグはもともとサファヴィー朝に遠い縁戚であった。だが、同朝に仕えていた間に落ちぶれたため、1577年に家族とともにインドムガル帝国へと移住した〔クロー『ムガル帝国の興亡』、p.164〕〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.214〕。
その後、ミールザー・ギヤース・ベグは帝国の皇帝アクバルに仕え、その執事にとりたてられ、いくつかの公職にあった〔。というのも、彼は大変教養のある知識人で、能筆家としても優れていたからである。
アクバルの死後、ミールザー・ギヤース・ベグはその息子ジャハーンギールにも重用され、「イティマード・ウッダウラ」(国家の柱)の称号を与えて帝国の宰相に任命した〔。なお、1611年に娘のヌール・ジャハーンはジャハーンギールの妃に、1612年には孫のムムターズ・マハルはジャハーンギールの皇子フッラム(のちのシャー・ジャハーン)と結婚し、帝室と姻戚関係を結ぶことさえ成功した。
1610年頃から、ジャハーンギールは病気の発作を起こすようになり、帝国の国政は宰相ミールザー・ギヤース・ベグ、娘のヌール・ジャハーンや息子アーサフ・ハーンに握られていた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.214-215〕。この三人にジャハーンギールの後継者ともいえる皇子フッラムが加わり、事実上の四頭政治が始まった〔。
1622年1月、ミールザー・ギヤース・ベグはアーグラで死亡した。娘のヌール・ジャハーンはその死を悼んで、同年から1628年にかけてイティマード・ウッダウラ廟を建設した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミールザー・ギヤース・ベグ」の詳細全文を読む




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