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ミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザー : ミニ英和和英辞書
ミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザー[かー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car

ミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザー ( リダイレクト:ナーシル・ジャング ) : ウィキペディア日本語版
ナーシル・ジャング[かー]

ナーシル・ジャングウルドゥー語:نصیرجنگ, Nasir Jang, 1712年2月16日 - 1750年12月16日)は、インドデカン地方ニザーム王国(ハイダラーバード王国)の第2代君主(ニザーム、在位:1748年 - 1750年)。
==生涯==
1748年、父であるニザーム王国始祖アーサフ・ジャーブルハーンプルで没した時、その長男ガーズィー・ウッディーン・ハーンは、父の代理としてムガル帝国の首都デリーの宮廷に出仕していた〔Hyderabad 3 〕。
この機をついて、次男のナーシル・ジャングは首都アウランガーバードを抑え、ニザーム王国軍と宮廷の貴族達の支持を取り付ける事に成功した。彼は国庫を奪取してニザームを宣し、1749年2月4日にムガル帝国にもその継承を認められた〔Hyderabad 4 〕。
しかし、その甥である ムザッファル・ジャングはこれに強硬に反対し、チャンダー・サーヒブフランスデュプレクスと結んで、ナーシル・ジャングに対抗しようとし、1748年8月第二次カーナティック戦争を引き起こした〔チャンドラ『近代インドの歴史』、p.59〕〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.199〕。
そのため、ナーシル・ジャングはチャンダー・サーヒブと対立していたイギリス側のムハンマド・アリー・ハーンと同盟し、戦争に参加するため、1750年1月南インドタミル地方に出陣した〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.40〕。
同年12月6日、ナーシル・ジャングはカダパナワーブであるヒンマト・ハーンにジンジー付近で殺害された〔〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナーシル・ジャング」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nasir Jung 」があります。




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