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ムゥタズィラ学派(、al-muʿtazilah)とは、イスラム教の神学の学派である。9世紀初頭から10世紀にかけてのイスラーム世界で大きな影響力を持ち、分散して少数派となった後も思想の一部はシーア派に継承された〔塩尻「ムゥタズイラ学派」『岩波イスラーム辞典』、959頁〕。 == 歴史 == ムゥタズィラ学派は8世紀前半にイラクのバスラで創始された〔。ワースィル・イブン・アター(699年 - 748年)が創始者とされているが、独自の学説が確立されたのはアブー・フザイル(751年 - 849年)の時代以降だと考えられている〔。アッバース朝のカリフ・マアムーンが設立した知恵の館での翻訳活動などの異文化の思考法の積極的な摂取、体系的思考を求める時代を背景にムゥタズィラ学派の思想が確立された〔黒田「初期イスラーム神学」『イスラーム思想』1、136-137頁〕。アリストテレスなどのイスラーム世界外の思考法を部分的に借用したムゥタズィラ学派は思弁による解釈を進めていった〔黒田「初期イスラーム神学」『イスラーム思想』1、138頁〕。827年にマアムーンがムゥタズィラ学派が主張する「クルアーン(コーラン)創造説」を公認すると宮廷で権勢を振るうようになり、833年にミフナ(異端審問)を開いた。ムゥタズィラ学派が初期アッバース朝の保護を受けて繁栄した一因として、四代目の正統カリフ・アリーの即位に対して曖昧な立場をとったアッバース家を擁護し、ウマイヤ家を弾劾した点が挙げられている〔嶋田「ムータジラ派」『新イスラム事典』、9-10頁〕。ワースィルはアリーを三代目の正統カリフ・ウスマーンより上の立場においたがアリーの至上論を認めず、4人の正統カリフに優劣を付けることを避けていた〔。 ムゥタズィラ学派の行き過ぎた理論は批判を受け、カリフ・ムタワッキルの時代に入ると正統派知識人の勢力が盛り返した〔黒田「初期イスラーム神学」『イスラーム思想』1、137頁〕。合理主義の徹底によって伝統的な世界観を揺るがすムゥタズィラ学派に対して法学の分野ではイブン・ハンバルが創始したハンバル学派、神学の分野ではかつてムゥタズィラ学派に属していたアシュアリーが創始したアシュアリー学派が現れ、ムゥタズィラ学派の思想に反駁した〔黒田「初期イスラーム神学」『イスラーム思想』1、145-146頁〕。11世紀末に成立したホラズム・シャー朝の学者の中にムゥタズィラ学派の伝統は残っていたが、13世紀初頭のモンゴル帝国のホラズム征服の中で学統は失われた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムゥタズィラ学派」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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