|
無位 無意 無為
アニタ・ムイ(梅 艷芳、英:Anita Mui 1963年10月10日 - 2003年12月30日)は歌手・女優。香港出身。 == 来歴・人物 == 香港の1980年代を代表する女性歌手。幼少のころより、家計を助けるために、レストランやナイトクラブなどで歌っていた。1982年、無綫電視の新人歌手コンテストで優勝し、メジャーデビューを果たす。1983年には東京国際音楽祭世界大会に参加したこともある。28枚のアルバムと45本の映画を残す。没後もなお新しいファンを得ている香港が生んだスーパースターである。 日本では、ジャッキー・チェンやチャウ・シンチー映画の共演者として知られる。シリアスからアクションまでこなし、特にコメディエンヌとしての才能は非常に高く、オールラウンドにこなす演技力の高さから、主演・助演を含み、出演した映画も多い。『ルージュ』においての彼女の演技は絶品で、第8回香港電影金像奨最優秀主演女優賞・第24回金馬奨最優秀主演女優賞など賞を総なめにした。他に、『縁份』で第4回の、『半生縁』で第17回の香港電影金像奨最優秀助演女優賞を受賞している。また、面倒見のよい姉御肌の彼女の人柄は、多くの人たちに敬愛されていた。 2003年9月に子宮頸癌であることを親交のある多くの芸能人と共にメディアに告白後も、治療を続けながら病を押して芸能活動を継続し、11月には香港コロシアムでの数日にわたるコンサートも行うがファンの願いかなわず、この年の12月30日、帰らぬ人となった。このコンサートの模様はDVDで観ることが出来るが、ファンにとっては涙なしでは観られない。実は姉の梅愛芳も子宮頸癌でアニタと同じ40歳で亡くなっている。芸能界のみならず多方面に交友関係が広かったアニタの死の衝撃はとても大きく、各テレビ局では年末年始の番組を急きょ大幅に変更し彼女の追悼番組を放送した。この年、2003年の香港は、レスリー・チャンそしてアニタ・ムイの二人の巨星を失った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アニタ・ムイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|