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ムスティスラヴ・イジャスラーヴィチ : ミニ英和和英辞書
ムスティスラヴ・イジャスラーヴィチ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラヴ : [らヴ]
 【名詞】 1. love 2. (n) love
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ムスティスラヴ・イジャスラーヴィチ ( リダイレクト:ムスチスラフ2世 ) : ウィキペディア日本語版
ムスチスラフ2世[むすちすらふ2せい]
ムスチスラフ2世古ルーシ語:、? - 1170年)はキエフ大公(在位:1167年 - 1169年)。イジャスラフ2世の長男。息子には南西ルーシの雄ロマン大公がいる。''、? - 1170年)はキエフ大公(在位:1167年 - 1169年)。イジャスラフ2世の長男。息子には南西ルーシの雄ロマン大公がいる。
== 来歴 ==

*出生年は不明。初出はラヴレンチー年代記1146年の記事、次いでイパーチー年代記1147年 - 1148年に登場。当初、ペレヤスラヴリ・ルースキーの公で、1148年に、ユーリー・ドルゴルーキーの子グレプをこの町で撃退した。
*1151年 父を助けるためにハンガリー軍を率いるが、ユーリー・ドルゴルーキーの同盟者であるガーリチ公ウラジーミルにより打ち敗れられる。
*1154年までペレヤスラヴリの公。
*1157年 キエフに座すユーリー・ドルゴルーキーに対し、チェルニーゴフ公と共に軍を向けるが、この時にユーリーはキエフで死去した。
*1159年 キエフを占領し、自分の叔父スモレンスク公ロスチスラフを大公位につけた。
*1167年 叔父が死んだ後、ムスチスラフはキエフに招致され、キエフ大公になった。
*1168年 ポーロヴェツ遠征。
*1169年 アンドレイ・ボゴリュプスキーのキエフ攻撃にこらえきれず、ウラジーミル・ヴォルィンスキーに退去する。
*1170年 再度、短期間だがキエフを占領。同年、ウラジーミル・ヴォルィンスキーで死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムスチスラフ2世」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mstislav II of Kiev 」があります。




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