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ムタンチス(Os Mutantes)は、ブラジルのロック・バンド。トロピカリア・ムーヴメントを代表する存在の一つとして知られる。"Os"とはポルトガル語の定冠詞で、バンド名を英訳すると"The Mutants"となる。1978年に解散するが、2006年には再結成された。 == 来歴 == === 結成 - 解散 === 1964年、アルナルド・バチスタとセルジオ・ヂアス(本名セルジオ・ヂアス・バチスタ)の兄弟は、The Wooden Facesというバンドを結成。その後ヒタ・リーと出会い、1965年にムタンチスを結成。バンド名は、SF小説の『O Planeta Dos Mutantes』が由来〔allmusic(((Os Mutantes>Biography))) 〕。 1966年にシングル「Suicida」でデビューし、1968年、サイケデリック・ロック色の強いファースト・アルバム『Os Mutantes』を発表。同時期に、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、ナラ・レオン、トン・ゼー等と共に、トロピカリア・ムーヴメントを代表するコラボレーション・アルバム『Tropicalia: ou Panis et Circenses』に参加し、ジルベルト・ジルのセカンド・アルバム『Gilberto Gil』(1968年)にも参加した。この年の秋、カエターノ・ヴェローゾが歌謡フェスティバルの予選で「É Prohibido Proibir(禁ずることを禁ずる)」というプロテスト・ソングを歌った際、ムタンチスがバック・バンドを務めたが、保守層の学生達からブーイングが起こるというハプニングもあった〔『トロピカーリア ブラジル音楽を変革した文化ムーヴメント』(クリストファー・ダン・著、国安真奈・訳、音楽之友社、2005年、ISBN 4-276-23683-5)p.188-191〕。 1969年、フランスのカンヌで行われたMIDEMに出演。その後、セカンド・アルバム『Mutantes』発表。 1970年、リミーニャが加入してバンドは4人編成となり、サード・アルバム『A Divina Comédia ou Ando Meio Desligado』発表。同年、ヒタ・リーが初のソロ・アルバム『Build Up』発表。ヂーニョ・レーミを迎えて5人編成となったバンドは、1970年11月、イギリス人プロデューサーのカール・ホームズと共に、英語詞のアルバム『Tecnicolor』をパリで録音する〔『ジャルヂン・エレトリコ〜エレクトリック・ガーデン』日本盤CD(UICY-3001)ライナーノーツ(石川真男、2000年7月)〕。しかし、同作は諸事情により発表されず、1971年には、本来『Tecnicolor』で発表される予定だった楽曲も含むアルバム『Jardim Elétrico』発表。 『Mutantes e Seus Cometas no País do Baurets』(1972年)を最後にヒタ・リーが脱退。残された4人は、プログレッシブ・ロック色の強いアルバム『O A e o Z』を制作するが、同作は1992年まで未発表となった。そして、セルジオ・ヂアス以外のメンバーが一新された編成で、『Tudo Foi Feito Pelo Sol』(1974年)を発表。その後もメンバー・チェンジが続き、1978年にムタンチスは解散。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムタンチス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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