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ムトト () はイギリスで競走生活を送った競走馬、および種牡馬。古馬になってからイギリスの中距離路線で活躍し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝やエクリプスステークス連覇などの戦績を残した。馬名はスワヒリ語に由来し、単数形の「子供」を意味する言葉である。 == 経歴 == 2歳時の1985年より競走馬としてデビューしているが、2歳時は1戦のみで終わり、また3歳になってヘイドックパーク競馬場の未勝利戦で初勝利を挙げているが、そのほかの競走ではぱっとした成績ではなかった。 しかし4歳となった1987年から、その成績はどんどんと好転した。まず5月にその年の初戦である、サンダウンパーク競馬場のブリガディアジェラードステークス (G3) に出走、ここで優勝して初の重賞勝ちを収めた。翌戦プリンスオブウェールズステークス(当時G2)も勝ち、さらにG1エクリプスステークスでも優勝し、戴冠とともに3連勝を飾った。続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスは重馬場を嫌って出走回避〔『優駿』1987年9月号、p.125〕。この年フランスの凱旋門賞にも遠征しているが、トランポリーノの4着に敗れている。 5歳シーズンは1988年5月の準重賞から始動して1位に入線したが、出走全馬がコースを間違えていたことでレースが無効(不成立)となる〔。しかしプリンスオブウェールズステークスとエクリプスステークスではそれぞれ連覇を飾り、さらにキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでもスローペースのなか追い込み〔『優駿』1988年9月号、p.125〕が決まり、連勝記録を伸ばした。そのあとセレクトステークス (G3) を勝ってから挑んだ同年の凱旋門賞では、直線で内に閉じ込められるロスがあり〔『優駿』1988年11月号、pp.114-115〕優勝したトニービンにクビ差届かず2着に終わったが、同年はこれ以外負けなしという内容の濃い成績を残した。それが評価され、イギリスの競馬雑誌『ペースメイカー・インターナショナル』主催の表彰において欧州年度代表馬の座に加え、古馬部門と中距離部門のタイトルも獲得した〔日本中央競馬会『優駿』1989年2月号、pp.121-122〕。 ムトトは5歳シーズンを最後に競走生活を引退し、以後はアストンアプソープスタッドに繋養される種牡馬となった〔。初年度の種付け料は18000ポンドであった。 現代の流行からはかけ離れた血統背景を持つが、ダービーステークス優勝馬シャーミット( 1993年生、牡馬)やアスコットゴールドカップ優勝馬セレリック( 1992年生、せん馬)など、おもに中長距離で活躍馬を出した。しかし、牡馬で唯一のG1勝ち馬であるシャーミットはG1勝ち馬を1頭出すにとどまり、それ以外の後継種牡馬もこれといった産駒を出せず、父系は勢力を失いつつある。 2011年、28歳で死亡した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムトト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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