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ムハンマド・アブデル・モネイム(Muhammad Abdel Moneim, 1899年2月20日 - 1979年12月1日)は、ムハンマド・アリー朝の副王アッバース・ヒルミー2世の息子。エジプト王フアード2世の摂政。 ==生涯== 1938年、又従弟のファールーク1世国王の許可を得て、アルバニア王ゾグ1世の妹と婚約したが破談に終わった。 1940年、オスマン家の旧皇族ファトゥマ・ネスリシャフ・スルタンと結婚し、のちに1男1女をもうけた〔Montgomery-Massingberd 1980, p. 35 〕〔Montgomery-Massingberd 1980, p. 247 〕。 1952年にエジプト革命でファールーク1世が退位させられ、息子のフアード2世が即位したとき、彼はその摂政となった。 だが、翌1953年にフアード2世が退位させられ、ムハンマド・ナギーブがエジプト共和国大統領となると、彼もまた10か月ほどで摂政の地位を解任されることとなった。 1957年、夫妻はガマール・アブドゥル=ナーセル大統領の政権打倒を目論む陰謀に参加した容疑で逮捕された。夫妻はトルコ共和国大統領のエジプト政府に対する働きかけにより、釈放された。夫妻はエジプトを出国して欧州に渡るが、まもなくネスリシャフの生国トルコに移った。 1979年12月1日、彼はトルコで客死し、遺体はカイロに埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムハンマド・アブデル・モネイム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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