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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ムハンマド・ナースィル(محمد الناصر Muhammad al-Nāsir, ? - 1213年)は、ムワッヒド朝の第4代アミール(在位1198年 - 1213年)。 ムワッヒド朝の最盛期を築いた第3代君主ヤアクーブ・マンスールの子。父の死後、即位したが、ナースィルの治世はムワッヒド朝の創建から80年を経て王朝を支えたタウヒード主義運動への熱意を失わせ、王朝は徐々に弱体化していた。さらに、イベリア半島でキリスト教徒たちによる十字軍が結成され、アンダルス(スペイン南部)のムワッヒド朝支配領域を脅かした。 これに対して1212年、ナースィルは自ら大軍を率いてジブラルタル海峡を渡り、トレドまで遠征した。しかし、ラス・ナバス・デ・トローサの戦いで、カスティリャ王国のアルフォンソ8世らを中心とする連合軍に敗れ、アンダルスに対する支配力を失った。ムワッヒド朝はこの戦いで10万人から50万人と言われる無数の戦死者を出し、かつてマンスールの時代に最盛期を支えた軍はほとんど壊滅した。ナースィルは首都マラケシュに逃げ帰ることができたが、ほとんど政治への意欲を失い、翌年失意のうちに没した。 この敗戦の後、王朝創建の地モロッコでもベルベル人のマリーン族が反旗を翻し、さらにアラブ遊牧民の侵攻や有力者間の権力争いなどが激化、ムワッヒド朝は急速に衰えていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムハンマド・ナースィル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Muhammad al-Nasir 」があります。 スポンサード リンク
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