翻訳と辞書
Words near each other
・ ムハンマド・アーティフ
・ ムハンマド・アーディル・シャー (スール朝)
・ ムハンマド・アーメド・アル=マンゴーシュ
・ ムハンマド・イクバール
・ ムハンマド・イブラーヒーム
・ ムハンマド・イブン・アブドゥッラー
・ ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ
・ ムハンマド・イブン・アリー・イブン・タバータバー
・ ムハンマド・イブン・イドリース
・ ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ
ムハンマド・イブン=アリー・イブン=タバータバー
・ ムハンマド・イル=バラーダイー
・ ムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズ
・ ムハンマド・エミン・ボグラ
・ ムハンマド・エル=バラーダイー
・ ムハンマド・オスマン
・ ムハンマド・オマル
・ ムハンマド・カタトニ
・ ムハンマド・カタトニー
・ ムハンマド・カーイム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ムハンマド・イブン=アリー・イブン=タバータバー : ミニ英和和英辞書
ムハンマド・イブン=アリー・イブン=タバータバー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ムハンマド・イブン=アリー・イブン=タバータバー ( リダイレクト:ムハンマド・イブン・アリー・イブン・タバータバー ) : ウィキペディア日本語版
ムハンマド・イブン・アリー・イブン・タバータバー[ちょうおん]
ムハンマド・イブン・アリー・イブン・タバータバー、通称イブン・アッティクタカー1262年頃生、没年不詳)は、中世イスラーム世界の政治学者であり、シーア派に属する。アリー・イブン・アビー・ターリブの20世孫であり、イラクのアルヒッラで生誕したとされる。彼は1302年に、当時恩顧を受けていたイル・ハン国の第7代ハン、ガーザーンの部下であったモスルの太守ファフル・アッディーンに献上する形で、政治論・君主論に関する著作『アルファフリー』を表した〔『アルファフリー』第1巻訳者はしがき、イブン・アッティクタカー著、池田修、岡本久美子訳、2004年、東洋文庫、p3、p4〕。
『アル・ファフリー』の中で、著者であるイブン・アッティクタカーは当時の時代状況下で、著者にできうる限りの公平公正な史論を展開しようとしたと述べており〔『アル・ファフリー』第1巻序文、イブン・アッティクタカー著、池田修、岡本久美子訳、2004年、東洋文庫、p37〕、実際シーア派の人物でありながら、正統カリフやウマイヤ朝に対し、簒奪者としての罵倒を浴びせず、四代カリフはその宗教性を賞賛し〔『アル・ファフリー』第1巻、イブン・アッティクタカー著、池田修、岡本久美子訳、2004年、東洋文庫、p154、p155〕、ウマイヤ朝初代のカリフムアウィーヤに対しても、そのカリフ位は全体の同意を受けた正当なものであり〔『アル・ファフリー』第1巻、イブン・アッティクタカー著、池田修、岡本久美子訳、2004年、東洋文庫、p211〕、また彼は王朝の統治制度を整えた〔『アル・ファフリー』第1巻、イブン・アッティクタカー著、池田修、岡本久美子訳、2004年、東洋文庫、p218〕と、その功績をたたえている。しかし同時に、シーア派として、アリーのみを別格で『信者の長』とも呼んでいる〔『アル・ファフリー』第1巻訳注、イブン・アッティクタカー著、池田修、岡本久美子訳、2004年、東洋文庫、p354〕。
また同書では同時に修辞や雄弁の術を使いすぎることを戒めており、批判の対照としてイブン・スィーナーの医学典範を挙げている〔『アル・ファフリー』第1巻序文、イブン・アッティクタカー著、池田修、岡本久美子訳、2004年、東洋文庫、p37、p38〕。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムハンマド・イブン・アリー・イブン・タバータバー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.