翻訳と辞書 |
ムハンマド・タパル
ムハンマド・タパル( محمد تپر Muḥammad Tapar、 غياث الدنيا والدين أبو شجاع محمد بن ملكشاه بن الپ ارسلان Ghiyāth al-Dunyā wa al-Dīn Abū Shujā` Muḥammad b. Malik Shāh b. Alp Arslān:1082年1月21日 - 1118年4月5日)は、セルジューク朝の第7代スルターン(在位:1105年 - 1118年)。アッバース朝カリフから授けられた尊号は、السلطان غياث الدنيا والدين أبو شجاع محمد قسيم امير المؤمنين al-Sulṭān Ghiyāth al-Dunyā wa al-Dīn Muḥammad Qasīm Amīr al-Mu'minīn。 == 生涯 ==
=== 異母兄との争い === 第3代スルターンのマリク・シャーの四男。生母はトルコ系女性で側室。異母兄に第5代スルタンのバルキヤールク。異母弟にマフムード1世。同母弟にアフマド・サンジャルがいる。1092年に父が死去してセルジューク朝で内紛が起こると、1100年からバルキヤールクとスルタン位をめぐって5度の合戦で衝突した。このとき同母弟のサンジャルと連合しており、1104年1月にバルキヤールクと和約してアゼルバイジャンやアルメニア、イラク北部の支配権を得た。 1104年末にバルキヤールクが死去し、1105年にその息子のマリク・シャー2世が死去すると、その跡を継いでスルタンとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムハンマド・タパル」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|