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ムハンマド・フセイン・タンターウィー・スレイマーン(, ラテン文字表記: , 1935年10月31日 - )は、エジプトの軍人、政治家。陸軍元帥。ホスニー・ムバーラク政権下で国防大臣兼国軍総司令官、軍最高評議会議長を務め、2011年2月11日にムバーラクが大統領を辞任して全権を軍最高評議会に委譲すると、軍最高評議会議長として翌年6月30日まで国家元首の職権を代行した。ムハンマド・ムルシー政権が発足し民政に移行した後も国防大臣兼国軍総司令官、軍最高評議会議長職に留任したが、2012年8月12日に解任された。現在、大統領顧問を務める。 人名の日本語表記について、日本国外務省がタンターウィと表記しており、日本語メディアではタンタウィと表記されることが多い。 == 経歴 == === 軍歴 === タンターウィーは1956年4月1日、一介の歩兵として軍人生活を歩み始めた。以来、軍歴は55年に及び、1956年の第二次中東戦争(スエズ動乱)、1967年の第三次中東戦争、1973年の第四次中東戦争などにも従軍した〔太田順尚「ムバラク氏側近/変化嫌う守旧派の評――軍最高評議会のトップ――タンタウィ国防相」『日本経済新聞』44915号、14版、日本経済新聞社、2011年2月13日、6面。〕。司令官として多くの経験を積み、その後、パキスタンの駐在武官に就任。帰国後は大統領親衛隊司令官などを歴任した。 1991年の湾岸戦争には多国籍軍の一員として参加する。同年5月20日、国防・軍需生産大臣兼国軍総司令官に就任。また、陸軍元帥に昇進した。以来、長年にわたって閣僚を務めあげ、ホスニー・ムバーラク大統領の側近として知られた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムハンマド・フセイン・タンターウィー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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