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ムハンマド・ムンタザル(; 名をムハンマド・イブン・ハサン・イブン・アリー)はシーア派・十二イマーム派において信じられる第12代イマームにしてマフディー、すなわち隠れイマームである。マフディーはシーア派において人類の最終的な救世主として現れるとされる者である。十二イマーム派以外のイマーム継承列を異にする他のシーア派分派や、スンナ派においてはムハンマド・ムンタザルをマフディーとはしない。 ムハンマド・ムンタザルは歴史的には存在すら疑われているが、十二イマーム派では生誕年を868年とし、神によって隠され(ガイバ; 幽隠・隠れ・掩蔽)、のちに再び現れその使命を達するものと信じる。ムンタザルは「待望される者」の意。ほかに信仰をくんで「ムハンマド・マフディー」、「ムハンマド・カーイム」とも呼ぶが、十二イマーム派では名で呼ばず「時の支配者」などの呼び方をする。''; 名をムハンマド・イブン・ハサン・イブン・アリー)はシーア派・十二イマーム派において信じられる第12代イマームにしてマフディー、すなわち隠れイマームである。マフディーはシーア派において人類の最終的な救世主として現れるとされる者である。十二イマーム派以外のイマーム継承列を異にする他のシーア派分派や、スンナ派においてはムハンマド・ムンタザルをマフディーとはしない。 ムハンマド・ムンタザルは歴史的には存在すら疑われているが、十二イマーム派では生誕年を868年とし、神によって隠され(ガイバ; 幽隠・隠れ・掩蔽)、のちに再び現れその使命を達するものと信じる。ムンタザルは「待望される者」の意。ほかに信仰をくんで「ムハンマド・マフディー」、「ムハンマド・カーイム」とも呼ぶが、十二イマーム派では名で呼ばず「時の支配者」などの呼び方をする。 == シーア派の伝えによる生誕と幼年時 == ムハンマドは868年、ハサン・アスカリーを父として生まれた、とされる。母はナルジス(あるいはマリカ)と伝えられ、アラビアの地へと旅するために奴隷に扮したビザンツ皇女であった〔〕。父ハサン・アスカリーは第11代イマームとされる。伝によればムハンマドの誕生は当時のアッバース朝カリフ・ムウタミドの手になるシーア派迫害を避けて秘された〔〕〔〕。 このムハンマド・ムンタザルにかかわる伝えを補強するため、十二イマーム派では次のような預言者のハディースを引く。 第11代イマーム・ハサン・アスカリーが没したのは874年1月1日(聖遷暦260年ラビーI月8日)のことである。十二イマーム派ではこの日、ムハンマド・ムンタザルは時代の人々を導くために神によってイマームに補せられたのだ、とする。シーア派文献に現れるムハンマド・ムンタザルの記録では、父の葬儀にかかわる以下の伝えがもっとも有名なものである。葬儀の礼拝が始まろうとし、ムハンマド・ムンタザルの叔父ジャアファル・イブン・アリーが礼拝導師として進みでようとしたところ、ムハンマドが至って命じた。「脇へ退かれよ、叔父上。イマームの葬送礼拝を導けるのはただイマームのみ」と。ジャアファルは退き、5歳の幼児が父の葬送礼拝を導いた。この直後にムハンマドは消え失せ、「ガイバ」すなわち「隠れ」に入ったのだ、とされるのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムハンマド・ムンタザル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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