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ムルコニチ・グラード : ミニ英和和英辞書
ムルコニチ・グラード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ムルコニチ・グラード : ウィキペディア日本語版
ムルコニチ・グラード[ちょうおん]

ムルコニチ・グラード(,,)はボスニア・ヘルツェゴビナ西部の都市および基礎自治体で、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する構成体のうちスルプスカ共和国に属する。バニャ・ルカヤイツェの間にあり、ボサンスカ・クライナ地方に位置する。
== 歴史 ==
町は考古学的な発見から先史時代にまで遡り、ローマの痕跡も見つかっている。町の名称はオスマン支配など歴史的にいく度か変わっており、ゴルニ・クロケ、ノヴァ・ヤイツェ(イェニドジ・ヤイツェ)、ヴァルツァル・ヴァクフと変わりそして現代のムルコニチ・グラードとなった。ムルコニチ・グラードに変わったのは1924年のことで、ペタール1世オスマン帝国に対する反乱(1875-1878)のときにムルコニチの仮名でハイドゥクとして戦ったことに因むとされている。
第二次世界大戦時の1943年11月25日にZAVNOBiHが初めて会合を開いた町として知られセルビア系ボスニア人、クロアチア系ボスニア人、ボシュニャク人が共通の共和国を宣言した。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の1992年から1995年の間、町はセルビア系の支配下にあった。1995年10月8日から12日にクロアチア勢力によってムルコニチ・グラードはその支配下になりセルビア系住民に対して残虐な行為が行われた。480人のセルビア系住民が殺害されたが、そのうち219体しか遺体が発見されるか確認されていない。また、多くのセルビア系の住民は町を離れることになった。クロアチア勢力は戦後帰還するであろうセルビア系住民を妨げるためムルコニチ・グラード市街のインフラの90%近くを破壊している。ムルコニチ・グラードでは1995年10月10日から1996年2月4日まで町を支配下に置いていたクロアチアの常備軍に対し町を破壊し損害を与えたことに対して、訴訟を起こす準備をしている。町はまたアメリカ空軍が1995年6月にセルビア勢力側の地対空ミサイルによりF−16戦闘機を1機失ったムルコニチ・グラード事件でも知られている。〔NATO-Allied Forces Southern Europe Website Accessed March 17, 2011 〕パイロットの''Scott O'Grady''はその後アメリカ海兵隊に救出され無事であった。
デイトン合意後、ムルコニチ・グラードはスルプスカ共和国の領域とされた。〔The Dayton Peace Accords Accessed March 17, 2011

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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