|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation
ムルシリ2世(Muršili II, 在位:紀元前1322年頃 - 紀元前1295年頃)は、ヒッタイトの大王。シリアなどへの遠征を行ってオリエントにおけるヒッタイト帝国の勢威を高めた。治世を記録した粘土板文書が発見され、その復元がかなり詳細に出来る数少ないヒッタイト王である。 == 来歴 == === 疫病 === 大王シュッピルリウマ1世の息子として生まれた。兄には王位継承者のアルヌワンダ、エジプト王妃の婿養子候補となりながら暗殺されたザンナンザ、カルケミシュの副王シャリクシュ、ハルパの副王テリピヌがいる。下の二人の兄は副王として帝国の安定に貢献したが、母の出自ゆえか王位継承権が無かったと思われる。シュッピルリウマ1世の治世末期よりヒッタイト国内で疫病が流行して紀元前1320年頃にシュッピルリウマは病死し、兄のアルヌワンダ2世が即位した。 この頃のムルシリの活動としては、西方の「セハ川の国」で兄弟に国王の座を追われカルキッサの町に逃げたマナパ・タルフンタを調略して味方につけた事、そして近衛隊長(''GAL MEŠEDI'')となっていたことのみが伝わっている。やがてシュッピルリウマの命を奪った疫病は、アルヌワンダの王子、そしてついにはアルヌワンダ自身の命をも奪った。こうして本来は王位に就く可能性が低かったムルシリに王位が回ってきた。なお「ムルシリ」というのはおそらく即位後の名前であり、本名は伝わっていない。 彼がヒッタイトを苦しめる疫病退散を祈って、何度か疫病流行の原因について神託を受けた詳細な記録が発見されている。託宣によれば、父シュッピルリウマが実の兄トゥドハリヤ3世を殺して王位に就いたこと、シュッピルリウマがエジプトに婿入りする途上で殺された息子ザンナンザの報復のため、属国のアムカを攻撃をしたことなどが挙げられている。その都度ムルシリは神に供物を捧げて疫病退散を祈願したが、効果はなかったようである。ムルシリは神々を呪い、なぜ正しい自分がこのような災厄に見舞われているのかと嘆いている。その嘆きのさまは旧約聖書のヨブ記に似ており、最古級の文学作品としても評価されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムルシリ2世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|