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ムーサー・カーズィム : ミニ英和和英辞書
ムーサー・カーズィム[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car

ムーサー・カーズィム : ウィキペディア日本語版
ムーサー・カーズィム[かー]

ムーサー・アル=カーズィム・イブン・ジャアファル・アッ=サーディクアラビア語: الإمام موسى الكاظم ابن جعفر الصادق‎ al-Imām Mūsá al-Kāẓim ibn Ja`far al-Ṣādiq、745年11月10日 - 799年9月4日)は、シーア派十二イマーム派第7代イマームマディーナで生まれ、バグダードに没した。
== 生涯 ==
ムーサー・カーズィムは先代ジャアファル・サーディクの子で、母はハミーダと伝えられる。
ムーサーの生まれたのはウマイヤ朝アッバース朝の争いのさなかのころであった。21歳のとき、シーア派イマーム派の多数派の支持を得て、アッバース朝の手にかかって没した父の後を継ぎ、イマームとなった。しかし、ムーサーのイマーム継承は必ずしも疑問の余地がまったくないものではなかった。それは彼がジャアファル・サーディクの長子ではなかったことである。長子イスマーイール・イブン・ジャアファルを支持する者たちは分派して新しい一派を立てた。これが「イスマーイール派」と称される人びとである。これに対し、ムーサー・カーズィムとその子孫の継承を支持する人びとを「十二イマーム派」と呼称する。
ムーサー・カーズィムはアッバース朝の第5代カリフハールーン・アッ=ラシードによって獄に下され、数年後には毒殺された。遺骸はバグダード近郊カーズィマインに葬られている。墓廟はムーサーの孫にあたる第9代イマームのムハンマド・タキーの墓廟と隣接しており、シーア派聖地のひとつとなっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムーサー・カーズィム」の詳細全文を読む




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