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ムービー配給 : ミニ英和和英辞書
ムービー配給[きゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [はい]
  1. (n,vs) disposition 2. distribution 3. arrangement
配給 : [はいきゅう]
  1. (n,vs) distribution (e.g., films, rice) 
: [きゅう]
  1. (n-suf) wage 2. gift 

ムービー配給 ( リダイレクト:関東ムービー配給社 ) : ウィキペディア日本語版
関東ムービー配給社[かんとうむーびーはいきゅうしゃ]

株式会社関東ムービー配給社(かんとうムービーはいきゅうしゃ)は、かつて存在した日本の映画会社である〔『映画年鑑 1978』、p.201.〕〔『映画年鑑 1988』、p.233.〕〔''関東ムービー''、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月9日閲覧。〕〔''関東ムービー''日本映画データベース、2012年7月9日閲覧。〕〔''Kanto Movie''インターネット・ムービー・データベース 、2012年7月9日閲覧。〕。旧社名株式会社ムービー配給社(ムービーはいきゅうしゃ)〔死ぬほど抱いて 、日本映画データベース、2012年7月9日閲覧。〕。
== 略歴・概要 ==
新東宝の最末期に中部支社長だった群馬県出身の桑原正衛(1915年生)が、同社倒産後に中部新東宝興業代表を経て、1965年(昭和40年)5月26日に創業した〔〔〔 『映画年鑑 1960』、p.593.〕。創業に先行して、同年1月、日本シネマが製作、松井康子主演、若松孝二監督『離婚屋開業中』を配給して公開した記録がある〔。以降、翌1966年(昭和41年)末までは、轍プロダクション、若松孝二の若松プロダクション山辺信雄ヤマベプロダクション本木荘二郎シネユニモンド等の製作物を配給していたが、向井寛日本芸術映画協会新藤孝衛青年芸術映画協会等に1969年(昭和44年)までの間に固定化する〔。このころまでの社名は「株式会社ムービー配給社」であった。白黒・カラーのフィルムを混成して編集したものである「パートカラー」を、同社は「セクシーカラー」と名付けてポスター等に表示していた。
1970年(昭和45年)以降、自社製作・自社配給の体制になり、監督も沢賢介、新藤孝衛、関孝二に固定化し始める〔〔。
1974年(昭和49年)12月25日に公開された、小島麻理主演、沢賢介監督の『(秘)香港セックス基地』以降は、配給については大蔵映画が行い、同社は製作業務に専念する〔〔。1976年(昭和51年)の製作本数は7本にとどまり〔『映画年鑑 1978』、p.166.〕、1977年(昭和52年)5月に公開された東祐里子主演、沢賢介監督の『FLESH MARKETS 国際肉体市場』以降は、配給元がミリオンフィルムに切り替わっている〔。同年から翌1979年(昭和54年)にかけて、年間2本を製作してミリオンフィルムに提供していたが、1980年(昭和55年)5月20日に公開された高原リカ主演、平川弘喜監督の『少女早熟』以降、映画の製作あるいは配給を行った記録がない〔〔。
その後の同社の活動は不明であるが、『映画年鑑』には会社情報や巻末広告が1990年代半ばまで掲載されている。1991年(平成3年)には、桑原正樹がすでに社長になっており、監査役も藤井一郎から渡辺省三に変更している記録があり〔『映画年鑑 1992』、p.253.〕、1994年(平成6年)には記載されているが〔『映画年鑑 1994』、p.〕、1990年代後半の『映画年鑑』には社名も社長や取締役の人名も掲載されていない〔 『映画年鑑 1998』、p.244, 318.〕。 ''Screen international film and TV year book 1992'' には、''Kanto Movie Distributors'', 代表は Masaki Kuwahara(桑原正樹)として掲載されている〔''Year book 1992'', p.151.〕。2012年(平成24年)現在、かつて同社が所在した新岩間ビルは現存している〔東京都中央区銀座3-12-18 新岩間ビル Google ストリートビュー、2012年7月8日閲覧。〕。同年7月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、同社の製作・配給した作品を所蔵していない〔所蔵映画フィルム検索システム 東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月9日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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