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メアリー・カリロ : ミニ英和和英辞書
メアリー・カリロ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

メアリー・カリロ : ウィキペディア日本語版
メアリー・カリロ[ちょうおん]

メアリー・カリロMary Carillo, 1957年3月15日 - )は、アメリカニューヨーククイーンズ出身の元女子プロテニス選手。1977年全仏オープン混合ダブルス部門で、ジョン・マッケンローとペアを組んで優勝した選手である。左利き。フルネームは ''Mary Jean Carillo''(メアリー・ジーン・カリロ)という。
メアリー・カリロとジョン・マッケンローは、幼少時代からテニスの遊び友達だった。カリロは成長期に、往年のオーストラリアの名選手だったハリー・ホップマンのテニス・スクールで学び、ビタス・ゲルレイティスと妹のルタからも大きな刺激を受けた。1977年にカリロはプロテニス選手になり、その年の全仏オープン混合ダブルスで、幼なじみのマッケンローとペアを組んだ。2人は決勝でイワン・モリナコロンビア)&フロレンタ・ミハイルーマニア)組を 7-6, 6-3 で破り、4大大会タイトルをここで獲得した。その後、カリロはウィンブルドン混合ダブルスでマッケンローと組んでベスト8に入り、全米オープンでは女子ダブルスのベスト8に入った。ところが、カリロは膝の故障のため、わずか3年後の1980年にプロテニスからの引退を余儀なくされた。(パートナーのマッケンローは、2年後の1979年全米オープンで4大大会男子シングルス初優勝を飾り、以後男子シングルス7勝・男子ダブルス9勝を獲得した。)
カリロは短い選手生活からの引退後、優れたスポーツ・キャスターとして名声を築き、テレビ解説者として数多くの賞を受賞してきた。1983年に、カリロはマルチナ・ナブラチロワの初めての自伝的著書『テニス・私の人生』“''Tennis My Way''”の共著者になった。彼女の代表作の中には、ビリー・ジーン・キング夫人の半生を描いた『ビリー・ジーン・キング:開拓者の肖像』(''Billie Jean King: Portrait of a Pioneer'')というドキュメンタリー・フィルムのプロデュースなどがある。最近はNBCテレビで2006年トリノオリンピックのスケート・ショー“Olympic Ice”(オリンピック・アイス)の製作・司会を務めた。

== 外部リンク ==

* セント・ピータースバーグ紙の紹介  (英語)
* HBO紙の紹介  (英語)
*
 



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メアリー・カリロ」の詳細全文を読む




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