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メアリー・ジョー・フェルナンデス : ミニ英和和英辞書
メアリー・ジョー・フェルナンデス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

メアリー・ジョー・フェルナンデス : ウィキペディア日本語版
メアリー・ジョー・フェルナンデス[ちょうおん]

メアリー・ジョー・フェルナンデスMary Joe Fernández, 1971年8月19日 - )は、アメリカの女子プロテニス選手。出身地はドミニカ共和国で、父親はスペイン出身、母親はキューバ人である。4大大会で3度のシングルス準優勝を記録し、全豪オープン1990年1992年の2度、全仏オープン1993年に準優勝した。ダブルスの名手としても活躍し、4大大会では1991年全豪オープン1996年全仏オープンで優勝している。1992年バルセロナ五輪1996年アトランタ五輪の2大会連続で、アメリカ代表として女子ダブルスの金メダルを獲得した。WTAツアーでシングルス7勝、ダブルス17勝を挙げる。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス4位。
1985年全米オープンで、史上最年少の「14歳8日」で初戦を突破する。1986年にプロ転向し、全仏オープンで準々決勝に進出。ジュニア時代からガブリエラ・サバティーニに相性が良く、プロ選手生活でも「10勝13敗」の戦績を挙げた。“サバティーニ・キラー”と呼ばれたフェルナンデスだったが、シュテフィ・グラフには17度の対戦で1度も勝てなかった。1990年全豪オープンで、フェルナンデスは女子シングルス・女子ダブルスの2部門に決勝進出を決めたが、シングルス決勝ではグラフに 3-6, 4-6 で敗れて準優勝になり、パティ・フェンディックと組んだ女子ダブルスでも準優勝に終わった。翌1991年の全豪女子ダブルスで、フェンディックと組んで初優勝を果たす。1992年全豪オープンで、フェルナンデスは再び女子シングルス・女子ダブルスの2部門で決勝に進んだが、2年ぶり2度目の女子シングルス決勝でモニカ・セレシュに 2-6, 3-6 で敗れ、またもや優勝を逃した。ダブルス準優勝のパートナーはジーナ・ガリソンであった。この後、バルセロナ五輪の女子ダブルスでジジ・フェルナンデスとペアを組んで金メダルを獲得した。
全豪オープン女子シングルスで最初の準優勝になった1990年、フェルナンデスは東京有明コロシアムで新設された「ニチレイ・レディース」の第1回大会で単複2冠を獲得した。シングルスでは、これが彼女のプロ初優勝だった。ニチレイ・レディースのダブルスでは、1990年-1992年の3連覇の後、1995年にも優勝がある。
1993年全仏オープンは、フェルナンデスのテニス人生でも最大のハイライトだった。準々決勝でガブリエラ・サバティーニと対戦中、1-6, 1-5 に追い詰められたが、そこから挽回して第2セット 6-6 に追いつき、タイブレークを取って持ち込んだ第3セットを 10-8 で取る大逆転勝利を挙げたのである。そして自身3度目の4大大会決勝進出を果たしたが、シュテフィ・グラフに 6-4, 2-6, 4-6 の逆転で敗れてしまう。これでフェルナンデスは4大大会で3度の準優勝になり、シングルスのタイトルを獲得することはできなかった。
1996年アトランタ五輪の女子ダブルスで、前回と同じジジ・フェルナンデスとのペアで2大会連続の金メダルを獲得した。この年は全仏オープンのダブルスでも優勝し、1991年全豪オープン以来となる4大大会ダブルス2勝目を挙げた。五輪をジジ・フェルナンデスと組んだほかは、リンゼイ・ダベンポートとペアを組んで好成績を挙げ、1996年にフェルナンデスとダベンポートのコンビは年間4勝を記録している。1997年がシングルス、ダブルスとも最後の優勝になった。キャリア後期の活躍には、1999年全仏オープン3回戦で若きセリーナ・ウィリアムズを破った試合があった(故障で次の4回戦を断念している)。2000年に現役を引退した。2011年、フェド杯でアメリカチーム監督を務める。

== 主な成績 ==

* 全豪オープン 女子ダブルス:1勝(1991年)/女子シングルス準優勝2度:1990年・1992年
* 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(1996年)/女子シングルス準優勝1度:1993年
* オリンピック 女子ダブルス金メダル:1992年バルセロナ・1996年アトランタ [2大会連続、パートナー:ジジ・フェルナンデス]

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メアリー・ジョー・フェルナンデス」の詳細全文を読む




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