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メイショウオウドウは日本の競走馬。同じく松本好雄オーナーのメイショウドトウとともにメイショウ軍団を支えた一頭であった。主戦騎手は飯田祐史で、所属厩舎も飯田明弘厩舎であり飯田親子を代表する競走馬でもある。引退後には種牡馬となった。 == 戦績 == デビューは1997年8月9日小倉競馬場の新馬戦で1番人気に応えデビュー戦で初勝利を挙げた。本レースには後に阪神3歳牝馬ステークスを勝つアインブライドも出走していた(3着)。 1998年、2戦目は初の重賞となる京都4歳特別に出走し9番人気ながら3着となる。その後条件レースを2走し、ラジオたんぱ賞で2着となるも、神戸新聞杯で2番人気に支持されながらも9着と惨敗してしまいクラシックには無縁であった。 1999年、古馬となっての緒戦の条件レースを勝利し朝日チャレンジカップ、毎日王冠と重賞レースを連続して2着となり、初のGIとなった天皇賞(秋)では6人気だったが14着と大敗してしまった。その後京阪杯を1番人気に支持されながらも3着となった。 2000年、初の1600mとなった京都金杯は4番人気ながら11着と大敗してしまう。そして、大阪城ステークスを勝利した後に挑戦した大阪杯で1番人気に応え重賞挑戦9レース目にしてようやく重賞初制覇となった。鞍上の飯田祐史も重賞初制覇となった。2連勝で臨んだ金鯱賞では2番人気に支持されるも7着だった。勝った馬は同馬主のメイショウドトウで、これが生涯に6度対戦して6度先着されることになる同馬との初対戦でもあった。その後、宝塚記念、天皇賞(秋)を惨敗し、12番人気で迎えたマイルチャンピオンシップで3着に入り、勝ったアグネスデジタルも13番人気だった為にワイドは好配当となった。その後、有馬記念では唯一の乗り替わりとなった河内洋が騎乗するも12番人気で8着という結果だった。 2001年、中山記念、 マイラーズカップを4着、2着となり迎えた安田記念では7番人気ながら3着に食い込んだ。その後3走は凡走だったが鳴尾記念を6番人気で勝利し2度目の重賞制覇となった。そしてラストランとなった有馬記念は11番人気で8着という結果に終わった。 引退後はイーストスタッドでメイショウドトウと共に種牡馬となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メイショウオウドウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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