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メイショウクオリアは日本の競走馬。馬名の意味は冠名の「メイショウ」(名将)と英語で「感覚に伴う質感、脳の栄養」を意味する「クオリア」である。 == 経歴 == 競走馬としてのデビューは2007年12月8日阪神競馬場の新馬戦(ダート1800m)。このレースでコロナグラフを抑えて1着となり初勝利を挙げる。重賞初挑戦となるラジオNIKKEI杯2歳ステークスは3着と善戦したものの、続くきさらぎ賞は10着、ダートに戻った3歳500万下も4着に沈んだ。 4月になり武豊に乗り替わったムーニーバレーレーシングクラブ賞。距離が大きく伸びたこともあり差し切り勝ち。さらに中1週を挟んだ京都新聞杯は岩田康誠を背にゴール前の接戦を粘り切り重賞初勝利を飾った。しかし迎えたダービーでは後方ままブービーに終わっている。その後も神戸新聞杯17着、菊花賞12着、ステイヤーズステークス10着、日経新春杯6着、京都記念9着、中京記念5着、大阪-ハンブルクカップ10着と主に中長距離路線を走り続けたが勝つことができなかった。その後、久々のダート戦となった7月のマリーンステークスでは中団で待機するも3コーナーで後退してしまいブービーの10着と大敗した。続く関越ステークスではスタートからハナに立ち逃げる展開となったが、最後の直線で2番手で追走していたシルククルセイダーにクビ差でかわされたものの2着と好走した。続く阿蘇ステークスでも2着だった。その後、芝に戻り京都大賞典に出走したが、人気通りの10着と大敗した。ダートに戻り、トパーズステークスでは見せ場なく11着と大敗した。続くベテルギウスステークスでは2着と好走したものの、師走ステークスでは12着に終わった。 5歳となった2010年は大沼ステークスで復帰、先団追走も直線で失速し12着と大敗した。連闘で挑んだ巴賞では10番人気と低評価だったが、道中先団追走から直線で最内を突くと逃げ粘るメイショウレガーロをゴール前で捕らえて快勝、2008年京都新聞杯以来の勝利を飾った。函館記念では道中好位を追走したが直線で伸び切れず7着に敗れたが、みなみ北海道ステークスと札幌日経オープンでは共に3着と好走した。ダートに戻り、ブラジルカップでは2番手で追走も直線で伸び切れず人気通りの6着に敗れた。続く福島記念では4着、中日新聞杯では道中中団追走も直線で失速し16着と大敗した。 6歳となった2011年初戦の日経新春杯では先団追走も直線で失速し最下位の13着と大敗。その後、休養を挟んで五稜郭ステークスに出走、スタートからハナに立ち逃げたが4着。巴賞では先団追走も直線で伸び切れず5着。函館記念では4着と逃げ粘った。みなみ北海道ステークスでは先行して3着と好走した。札幌日経オープンでは果敢に逃げて2着と粘り込んだ。休養を挟んでステイヤーズステークスに出走、道中中団追走も直線で伸び切れず6着。 7歳となった2012年初戦の万葉ステークスでは中団追走も伸び切れず9着。日経新春杯はスタートで出負けして中団追走も最下位の12着と大敗。休養を挟み巴賞は10着、函館記念は15着に終わった。札幌日経オープンでは先行して2着に粘った。続く丹頂ステークスで10着。3ヶ月の休養を挟んでステイヤーズステークスに出走したが、競走中に右第1指関節脱臼を発症、予後不良となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メイショウクオリア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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