翻訳と辞書
Words near each other
・ メイシオパーカー
・ メイシオフェリア
・ メイシオ・パーカー
・ メイショウ
・ メイショウオウドウ
・ メイショウカイドウ
・ メイショウクオリア
・ メイショウサムソン
・ メイショウトウコン
・ メイショウドトウ
メイショウバトラー
・ メイショウベルーガ
・ メイショウホムラ
・ メイショウボーラー
・ メイショウマンボ
・ メイショウモトナリ
・ メイシー
・ メイシーズ
・ メイシーズ・サンクスギヴィング・デイ・パレード
・ メイシーズ・デイ・パレード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

メイショウバトラー : ミニ英和和英辞書
メイショウバトラー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

メイショウバトラー : ウィキペディア日本語版
メイショウバトラー[ちょうおん]

メイショウバトラー日本の元競走馬。馬名の由来は冠名の「メイショウ」と戦士、闘士を意味する「バトラー」からである。屈腱炎を克服し、10歳となっても現役を続けていた。
== 戦績 ==
2003年、デビューは遅く3歳の6月だった。2戦目のダートの未勝利戦で勝利し初勝利を挙げる。その後芝のレースに転向し3戦2勝、2着1回という成績で条件馬の身分ながら果敢にも秋華賞へ出走するが、7番人気で7着、さらにエリザベス女王杯にも出走するが、12番人気で12着という結果に終わった。その後のゴールデンホイップトロフィーでは、2番人気で4着、格上挑戦となった阪神牝馬ステークスでは、12番人気で12着という結果に終わった。
2004年、関門橋ステークス(1600万下)では、後に愛知杯を制するメモリーキアヌらを相手に勝利しオープン馬となると、続く小倉大賞典では3番人気に支持されレースに勝利し重賞初勝利を挙げる。その後は中距離路線の重賞で2着4回、3着1回と好走するも勝利する事はなかった。
2005年、右前屈腱炎を発症し療養の為この1年を棒に振ることとなる。
2006年、復帰戦となったダートの欅ステークスでは、12番人気で12着となるも、休養明け2戦目のプロキオンステークスでは、7番人気だったがレースに勝利し、復活を果たした。その後サマーチャンピオンシリウスステークスと重賞を3連勝し完全復活を証明し、JBCマイルに出走し、ブルーコンコルドには敗れはしたものの2着となった。しかし、ジャパンカップダートでは6番人気で12着、兵庫ゴールドトロフィーでは1番人気に支持されるも5着という結果に終わった。
2007年フェブラリーステークスでは、8番人気で10着、黒船賞では1番人気に支持されるも5着となるも、その後のかきつばた記念さきたま杯スパーキングレディーカップ、さらにはクラスターカップと重賞を4連勝した。次の東京盃ではリミットレスビッドの2着に敗れ、続く第7回JBCスプリントでは8着だった。次走はクイーン賞に1番人気で出走するも2着、兵庫ゴールドトロフィーでも1番人気になるが3着だった。
2008年根岸ステークスから始動し6着、続くフェブラリーステークスでも11着と大敗するが、マリーンカップでは8歳牝馬としては史上初となる交流重賞勝ちを収め、健在ぶりをアピールした。その後、かきつばた記念で3着、続くさきたま杯とスパーキングレディーカップで2着、さらにクラスターカップで7着となった。続くマイルチャンピオンシップ南部杯では2着、JBCスプリントでは5着だった。続くジャパンカップダートでは最低人気となり結果も15着とシンガリ負けを喫した。その後、兵庫ゴールドトロフィーに3年連続で出走、人気通りの5着に敗れた。
2009年、交流重賞の黒船賞に出走するが、5着に敗れた。その後、3年連続での出走となったかきつばた記念では6着だったが、50戦目となるマリーンカップで2連覇を達成した。9歳牝馬の交流重賞勝ちは史上初である。続くスパーキングレディーカップとクラスターカップは共に3着に敗れた。その後、2年ぶりに出走した東京盃では見せ場がなく9着に敗れた。続くマイルチャンピオンシップ南部杯ではエスポワールシチーの3着に入った。
2010年、10歳緒戦は5月のさきたま杯で復帰したが、スマートファルコンの9着に敗れた。4年連続での出走となったスパーキングレディーカップでは見せ場なく11着と大敗した。4年連続出走となったクラスターカップでは3番手追走から一瞬先頭に踊り出るもサマーウインドの3着に敗れた。10月のマイルチャンピオンシップ南部杯では中団から追い上げるもオーロマイスターの4着、4年連続出走となったJBCスプリントでは見せ場なく10着と大敗、続くクイーン賞ではミラクルレジェンドの7着、兵庫ゴールドトロフィーでは5着という結果に終わった。2011年2月26日付で競走馬登録を抹消、生まれ故郷である北海道新ひだか町の三木田明仁牧場で繁殖牝馬となる〔重賞10勝のメイショウバトラーが故郷で繁殖入り (競走馬のふるさと案内所、2011年2月28日)。〕。初年度の種付けはメイショウサムソンの予定だったが、メイショウボーラーに変更されて2012年3月15日に牝馬が誕生した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メイショウバトラー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.