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メガネの大宝堂(メガネのたいほうどう)は熊本県熊本市中央区に本社を構え、熊本県内に店舗展開する眼鏡、補聴器、光学品の専門店であり、アイウェアの専門店「Visio」を運営する企業。 == 沿革 == 1907年(明治40年)創業。創業者の布田龍一郎の父、源吉は下通で旅館から始めて商店、貸家と手広く商売を行っていた人物で、龍一郎も独立して上通で店を開いた。当初は眼鏡のほかに時計も販売していたが、眼鏡の方が儲かるため眼鏡専門に転じた〔この部分は龍一郎の子の龍吉の記述による。龍一郎の弟にあたる布田源之助の説明はやや異なっており、龍一郎は最初は時計商をしていたが、儲からないので眼鏡店に転業したのだという(布田源之助『異風門郷愁記』長崎書店、1968年、77ページ)。〕。昭和初期には富裕層が人力車で乗り付け、活況を呈した〔「布田 龍吉さん 大宝堂会長・元上通商栄会会長」『街は記憶する』上通商栄会、2004年、12-17ページ。ISBN 4-87755-177-8。〕。 戦後は1953年の熊本大水害により大きな被害を受けたが〔復旧、1969年にはこの年に開業した交通センターに支店を出店〔「3月5日より熊本センター名店街(二階)に支店開設」『熊本日日新聞』昭和44年(1969年)3月4日付朝刊2面。※広告。〕、1972年には下通店を開店するなど〔「本日下通店OPEN」『熊本日日新聞』昭和47年(1972年)3月18日付朝刊1面。※広告。〕、支店展開を始めた。1977年には上通の再開発で各店とも相次いで店舗を建て替える中〔熊本経済研究会・都市圏研究部会「上通り再開発その後――提言と開発状況――」『くまもと経済』第13号、地域情報センター、1978、324-327ページ。〕、大宝堂も上通の本店を改築した〔「メガネの大宝堂上通店、あす9日新築オープン!」『熊本日日新聞』昭和52年(1977年)12月8日付朝刊16面。※広告。〕。1980年の寿屋楠店、1982年の県庁前店など〔、徐々に店舗数を増やした。1984年には初の市外店を一の宮町に出店し〔「大宝堂 阿蘇郡一宮町に新店舗」『くまもと経済』第48号、地域情報センター、1985年、136-137ページ。〕、1989年には八代市にも店舗を設けた〔「(資)大宝堂眼鏡舗 八代市松江町に郊外店を出店」『くまもと経済』第97号、地域情報センター、1989年7月、124ページ。〕。1992年にはテナント店であった楠店を独立させ麻生田店とした〔「大宝堂麻生田店がオープン」『熊本日日新聞』平成4年(1992年)6月20日付朝刊9面。〕〔「大宝堂眼鏡舗 清水町に新店舗がオープン」『くまもと経済』第135号、地域情報センター、1992年9月、123ページ。〕。 2003年時点では熊本県内に10店舗以上を展開していたが〔『熊本日日新聞』2003年9月10日付朝刊。〕、2004年には益城店、麻生田店を閉店、その後も経営不振により〔クビを切らずに会社を立て直す…3代目社長の苦闘 〕閉店が続いた。2012年には下通店をブランド品を専門に扱う新業態「Visio」として再開店した〔下通にブランド商品集めた新業態店舗 メガネの大宝堂 既存店と差別化図る 〕。また従来補聴器は扱いが小さかったが〔、2013年には本店に専用のフロアを設けて設備を拡充している〔上通本店の補聴器コーナーを移設 メガネの大宝堂 設備拡充でサービス向上狙う 〕。 同じ九州地域で「メガネのヨネザワ」を運営するヨネザワの創立者、米澤房朝が店員として働いていた〔私を語る 第六回 やっと就職 住み込みへ 〕。 * 1907年 - 創業。 * 1951年 - 設立。 * 2012年9月1日 - 株式会社に組織変更〔「組織変更広告」『官報』第5851号、平成24年7月27日、30ページ。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メガネの大宝堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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