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メガン・ショーネシー(Meghann Shaughnessy、1979年4月13日 - )は、アメリカ・バージニア州リッチモンド出身の女子プロテニス選手。2007年の全米オープン混合ダブルスで、インドのリーンダー・パエスと組んで準優勝した。WTAツアーでシングルス6勝、ダブルス17勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス11位、ダブルス4位。フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークとも両手打ちの選手で、強力なサービスを最大の武器にした。 == 来歴 == 1996年4月にプロ入り。ジュニア選手のトーナメントでは、1996年全仏オープンのジュニア女子シングルスでアメリ・モレスモ(フランス)に敗れた準優勝がある。2000年から急成長を始め、年初のニュージーランド・オークランド大会でベスト4に入ると、4月にはフロリダ州のウェストパームビーチ、サラソータで行われたツアー下部のサーキット2大会で優勝。同年10月にはチャイナ・オープン決勝でイロダ・ツルヤガノワ(ウズベキスタン)を7-6(2),7-5のストレートで下しツアー初優勝。これらの活躍から前年シーズン終了時に97位だったシングルスランクがシーズン終了時には39位にまで大幅に上昇した。 2001年は更なる飛躍の年となり、全仏オープンとウィンブルドンで4回戦に進出。9月にカナダ・ケベックシティ大会の決勝でイバ・マヨリ(クロアチア)を破ってツアー2勝目を挙げた。この年は他にも2月のアリゾナ州・スコッツデール大会、4月のドイツ・ハンブルク大会でも準優勝の成績を収めるなどの活躍により、初めて世界ランキング20位以内に入った。また女子テニス国別対抗戦・フェドカップのアメリカ代表選手としても2002年と2003年の2年間務めている。 2003年1月、ショーネシーはオーストラリア・キャンベラの大会でツアー3勝目を挙げ、直後の全豪オープンで4大大会の自己最高成績を出し、ベスト8に進出した。その準々決勝では第1シードのセリーナ・ウィリアムズに 2-6, 2-6 で敗れた。この年は全仏オープン3回戦で杉山愛(日本に敗れ、全米オープン4回戦ではキム・クライシュテルス(ベルギー)に敗れている。 メガン・ショーネシーのテニス経歴は、シングルスでは2003年がベスト・シーズンであったが、2004年からダブルスに活路を見出し、ナディア・ペトロワ(ロシア)とペアを組んでダブルス年間7勝を挙げた。その中には、女子テニス年間最終戦・WTAツアー選手権のタイトルも含まれている。2006年度もダブルスで2勝を記録した。 2007年の全米オープン混合ダブルス部門で、ショーネシーはリーンダー・パエス(インド)と組み、初めて4大大会決勝戦の舞台を踏んだ。この決勝戦ではベラルーシペアのマックス・ミルヌイ&ビクトリア・アザレンカ組に 4-6, 6-7 で敗れて準優勝になった。2008年からは左膝の故障に悩み試合出場が散発的になり、2010年からはダブルスに専念して出場していたが、2011年ウィンブルドン選手権を最後に公式試合から遠ざかっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メガン・ショーネシー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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