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メクボ・ジョブ・モグス(Mekubo Job Mogusu、1986年12月25日 - )は、日本国内で活躍しているケニア共和国出身の陸上競技選手(長距離種目)。山梨学院大学付属高等学校-山梨学院大学出身。2011年10月までアイデムに在籍しており〔http://www.aidem.co.jp/company/topics/pdf/090326.pdf メクボ・ジョブ・モグス選手入社のお知らせ〕、2012年4月から2014年12月までは日清食品グループに、2015年4月からはサンベルクスに所属している。身長165cm、体重50kg。血液型A型。 == 略歴 == 2001年に来日し山梨学院大学付属高校入学。高校時代は、北京オリンピック、男子マラソン金メダリストのサムエル・ワンジル(仙台育英高校 - トヨタ自動車九州)らに敗れて、区間賞は取れなかったものの、2004年の全国高等学校駅伝競走大会では区間2位となる力走を見せた。なかなかワンジルに勝てなかったが、2004年の島根インターハイで優勝し、ワンジル(3位)に勝っている。 大学時代、箱根駅伝では4年連続エース区間の2区を任されて1年次の第82回箱根駅伝では区間賞、2年次の第83回箱根駅伝では、後半失速、早稲田大学の竹澤健介らに敗れ区間6位に終わったが、3年次の2008年に行われた第84回箱根駅伝で2区の区間新記録1時間06分23秒をマーク、これまでの区間記録であった1999年の順天堂大学の三代直樹が出した1時間06分46秒を9年ぶりに更新した。さらにその翌年、2009年の第85回箱根駅伝では、前年の自らの記録をさらに19秒更新する1時間06分04秒を記録、同区間では瀬古利彦(早稲田大学)以来29年ぶりとなる2年連続区間記録を達成した。 全日本大学駅伝では1年、2年、3年次はアンカー区間の8区、4年次は4区を任された。第38回大会では11位で襷を渡されると驚異的な走りで次々と抜いていきシード権の5位まで押し上げ、渡辺康幸が持っていた区間記録を20秒近く更新した。第39回大会も6位とは4分10秒差の13位で襷を渡されたが自身が持っている区間記録を更に超える走りで抜いていき4分10秒差あった日本大学をゴール直前で交わしてシード権の6位でゴール。記録も自身の記録を1分近く更新した。4年次は4区を走りここでも区間新記録を記録。全日本大学駅伝では4年連続出場・4年連続区間賞獲得を果たし、8区で2度、4区で1度の計3度区間新記録を樹立した。 札幌国際ハーフマラソンでは2005年・2007年・2008年と3度の優勝を誇り、2007年には大会新記録を残している。また2007年の香川丸亀ハーフマラソンでは当時世界歴代10位となる59分48秒を記録した〔2007年香川丸亀ハーフマラソン優勝時 〕。2008年にはIAAF世界ハーフマラソン選手権ブラジル大会のケニア代表に選出され出場を果たしたが、途中棄権の結果に終わった。2008年に行われた関東インカレ10000mで27分27秒64を記録し、男子10000mの日本学生記録を更新した〔『読売新聞』2008年12月26日閲覧 〕。 2009年12月には第63回福岡国際マラソンで初マラソンに挑戦したが、20キロ地点の給水の際に他の選手と接触、左ふくらはぎを傷め31.4キロ地点での途中棄権となった。 2011年10月末に、アイデムを退社。その後ケニアに帰国し競技を続けていたが、2012年4月に再来日し、日清食品グループに加入することになった〔新加入選手と2012年度体制のお知らせ 『日清食品グループ 陸上競技部』2012年4月3日閲覧 〕。 2014年12月末に、日清食品グループを退社〔お知らせ 『日清食品グループ 陸上競技部』2015年3月16日閲覧 〕、2015年4月からは同僚の北村聡と共にサンベルクスに移籍することになった〔【陸上】モグス、新興チームに移籍へ 北村とサンベルクスに 2015年3月17日閲覧 〕〔4/1(水)北村聡選手、メクボ・ジョブ・モグス入社!! 2015年4月8日閲覧 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メクボ・ジョブ・モグス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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