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メジロドーベル(1994年5月6日 - )は日本の競走馬、繁殖牝馬。 1996年に中央競馬でデビュー。主な勝ち鞍は同年の阪神3歳牝馬ステークス、1997年の優駿牝馬(オークス)と秋華賞、1998年・1999年のエリザベス女王杯など。それぞれの年にJRA賞最優秀3歳牝馬、最優秀4歳牝馬、最優秀5歳以上牝馬に選ばれた。吉田豊が全戦に騎乗し、通算21戦10勝。4年連続で年度表彰を受けた史上初の馬であり、中央GI競走5勝は2009年まで牝馬による最多勝利記録であった〔2009年にウオッカが更新。〕。 ''※競走馬時代の馬齢表記は日本で2000年以前に使用された数え年で統一する。'' == 経歴 == === 生い立ち === 1994年、北海道洞爺湖町のメジロ牧場に生まれる。父メジロライアンは1991年の宝塚記念優勝馬で、本馬はその初年度産駒。母メジロビューティーは素質馬として期待されていたが〔、故障のため2勝のみで引退している〔『優駿』1997年3月号、pp.36-38〕。母方の曾祖母には1965年の最優秀3歳牝馬メジロボサツがいた。 本馬が誕生する前年、1歳上の兄に父サンデーサイレンスの産駒がいたが、生まれてすぐに重度の黄疸を発症し、度重なる輸血の後に感染症を併発して死んだため、母メジロビューティーの血液が検査に出されることになった。その結果、メジロビューティーは特殊な血液型を持ち、血液が適合するのは日本の種牡馬の約22パーセントであることが判明した。このときすでにメジロビューティーはメジロドーベルを宿していたが、父メジロライアンは「22パーセント」には含まれていなかった。両親の血液型が不適合である場合、免疫力をつける前に母馬からの乳を飲むと貧血を起こし命の危険があった。しかし、馬は初乳を飲むことによって初めて免疫力をつけることができるため、誕生後のメジロドーベルは同じ時期に出産を控えていた隻眼の繁殖牝馬・メジロローラントから初乳をもらうことになった〔『優駿』1997年2月号、pp.3942〕。 こうして出生時の危難を乗り越えたが、翌1995年初頭には骨折を生じる。関節内に骨片が浮いた重い症状だったが、これは日本最大の牧場である社台ファーム獣医スタッフからの全面協力を得て手術が行われ、無事に成功した〔。 メジロ牧場は1990年代初頭にメジロマックイーン、メジロライアン、メジロパーマーら1987年生産の馬たちで大きな活躍を示して以降、下の世代から目立った馬を出すことができておらず、牧草や放牧の方法、育成施設といった諸方面すべての改革に乗りだしていた。メジロドーベルや、同父で後に天皇賞(春)を制するメジロブライトが、その改革後に育成された最初の世代であった〔。競走年齢の3歳2月までメジロ牧場で育成されたのち、福島県の天工牧場を経て、母方の代々を手掛けている大久保洋吉(茨城県美浦トレーニングセンター)のもとに入厩〔。大久保はメジロドーベルの印象について、「この馬の兄妹は少し胴の長い、どちらかというとステイヤータイプ〔長距離競走を得意とする馬。〕の体型をしていた。しかしドーベルはもう少し胴の詰まった印象で、兄や姉よりもスピードタイプの体型に見えました。父方のライアンとのバランスがよくとれたということなんでしょうが、『上とは少しタイプが違うのかな』というのが初めて見たときの印象でした」と述べている〔。ドーベルの兄姉は、いずれも好素質馬でありながら体質や体型のわずかな問題で出世しきれておらず、「やっとメジロボサツに遡るような感じの馬が出てきた」と感じていたともいう〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メジロドーベル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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