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メジロマイヤー(1999年3月19日 - )は日本の元競走馬。馬名の由来は、アルペンスキー選手で長野オリンピックでは2個の金メダルを獲得したヘルマン・マイヤーからである。 == 戦績 == 2001年9月15日、デビュー戦となった阪神競馬場の新馬戦では飯田祐史が騎乗し4番人気で2着だった。その後デビュー4戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。 2002年、500万下クラスの白梅賞を3番人気で勝利し、初の重賞挑戦となった第42回きさらぎ賞では6番人気ながらアグネスソニック、メガスターダムらを相手に見事勝利し、重賞初挑戦で重賞初制覇を成し遂げた。そして初のGI挑戦となった第62回皐月賞では中舘英二が騎乗し9番人気で最下位の18着と大敗してしまう。その後2走も大敗が続いた。 2003年、第47回阪急杯を13番人気ながら5着、東風ステークスを3番人気で3着とまずまずの成績だったが、その後2走は凡走してしまった。しかし、第41回愛知杯で7番人気ながら3着となり、その後3着、4着と入着が続くも1600万下クラスの市川ステークスで10着と大敗してしまった。 2004年、5歳となっての緒戦である新春ステークス(1600万下)こそ16着と大敗してしまうが、その後の1600万下クラスのレースを3着、2着、2着と好走し、鞍上に武豊を迎えた道頓堀ステークス(1600万下)で約2年振りの勝利を挙げた。そして次走のオーストラリアトロフィーも勝利し、2連勝で約2年振りのGI挑戦となった第54回安田記念では武幸四郎が騎乗し、大逃げの走りを見せるも12番人気で最下位の18着と大敗してしまった。その後長期休養となる。 2005年、復帰戦となった第41回中日新聞杯は13番人気で14着、2005ファイナルステークスも9番人気で14着と大敗してしまう。 2006年、初めて川田将雅が騎乗し臨んだ第40回小倉大賞典では11人気と低評価ながら見事に逃げ切り、当時としてはJRAにおける重賞最長間隔勝利記録となる約4年ぶりの重賞制覇を達成する〔2010年10月20日、福島記念をダンスインザモアが制し、この記録は更新された。〕。また鞍上の川田将雅にとってはJRA重賞初勝利となった。しかしその後の3走は大敗が続いた。 2007年は福島民友カップに出走登録を行い、1年ぶりの復帰が見込まれていたが除外され、カシオペアステークスに出走。しかし最下位17着に大敗した。翌週に連闘となる福島記念に出走登録を行ったが除外され、前走から3週間後の11月23日に行われた京阪杯に出走したが、18番人気で17着という結果だった。 2008年5月8日付けで、JRA競走馬登録を抹消され、引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メジロマイヤー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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