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メジロラモーヌは日本の競走馬。1986年に桜花賞、優駿牝馬(オークス)、エリザベス女王杯を制し、中央競馬史上初の牝馬三冠を達成した。1985年度優駿賞最優秀3歳牝馬、1986年度同最優秀4歳牝馬。1987年顕彰馬に選出された。半弟に1989年高松宮杯の勝利馬メジロアルダン(父アスワン)がいる。 ※競走馬時代の馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で記述する。 == 出生 - デビュー前== 1983年、北海道伊達市のメジロ牧場に生まれる。父モガミは、メジログループ前総帥の北野豊吉が、シンボリ牧場の和田共弘と共同所有した新種牡馬、母メジロヒリュウは6勝を挙げており、その半弟に京都新聞杯の勝利馬メジロイーグルがいる。幼名は「俊飛」〔大寺 p.40〕。幼駒の頃の俊飛は両後脚の飛節に難があり、また性格的にも大人しく、周囲に大きな期待を抱かせるような馬ではなかった〔大寺 pp.29-30〕。同期の牝馬1頭とともに最後まで受け入れ先が決まらず、翌年7月になってようやく奥平真治が管理調教師となることに決まる〔『優駿』2003年9月号 p.61〕。奥平はメジロ商事社長の北野俊雄と個人的に親交があったため、以前からメジロ牧場出身馬の管理を打診されており、俊飛はその第1号馬となった〔。 その後メジロ牧場で育成が積まれると、3歳を迎える頃から飛節の難点が解消されていき、徐々にバランスの良い馬体に変貌していった〔大寺 p.30〕。競走年齢の3歳に達した7月、競走名メジロラモーヌと改名され函館競馬場に移動。馬名は馬主の冠名「メジロ」に、アルプス山脈の峰のひとつ「ラモーヌ (l'Amone)」を加えたものである〔大寺 p.29〕。以後函館で調教を積まれ、秋に入り茨城県美浦トレーニングセンターに移動した〔大寺 pp.37-38〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メジロラモーヌ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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