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メゾン・カレ
メゾン・カレ(Maison Carrée)は、南フランスのニームにある古代の建築物で、ローマ帝国の版図の中でも特に保存状態がよい古代の神殿のひとつである。 == 歴史 == 紀元前16年ごろ建設され〔建立時期はアウグストゥスが紀元前16年に行ったこの地方への記録にない旅に基づいている。James C. Anderson, Jr., "Anachronism in the Roman Architecture of Gaul: The Date of the Maison Carrée at Nîmes" ''The Journal of the Society of Architectural Historians'', 60.1 (March 2001), pp. 68-79. 〕、続く数年でローマのパンテオンの最初の施主でもあったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパの手により再建された〔ニーム市の建築監督 Marc Célié が1990年から1991年に行った発掘調査で判明。 (Anderson 2001:75).〕。そして紀元2年から5年ごろ、アグリッパの2人の息子ガイウス・カエサルとルキウス・カエサルを祭るようになった。2人はアウグストゥスの後継者だったが、そのころ相次いで早世している。ガイウスとルキウスに捧げられた碑文は中世期に除去された。しかし1758年、地元の学者 Jean-François Séguier は、ポルチコのファサードにあった穴の数と位置から碑文の再現に成功した(碑文は青銅製の文字を打ち付けたものだった)〔Séguier の成果は ''CIL'', xii. 3156 に掲載され、若干修正した版が Robert Amy and Pierre Gros, ''La Maison Carrée de Nîmes'' (Paris, 1979) にあり、それが近代の標準的解釈となっている。そして、これによって神殿の建立時期に疑いが生じ、それとの比較でガロ・ローマ文化の他の建築物の建立時期の見直しが行われた。Anderson 2001 によれば、現在の神殿は紀元2世紀前半に再建された可能性があると示唆されている。〕。 この神殿は4世紀にキリスト教の教会に転用され、ローマが国教をキリスト教と定めた後に異教の神殿などが破壊された際にも破壊を免れた。その後、会議場などに使われ、フランス革命期には政府所有の馬のための馬小屋となり、さらに市の公文書保管庫とされた。1823年以降は美術館となった。そのフランス語の名称は古語 ''carré long'' に由来し、「長方形」を意味しており、この建物の外形を指している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メゾン・カレ」の詳細全文を読む
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