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メノルカ島侵攻 (メノルカとうしんこう、)は、アメリカ独立戦争後半の1781年8月19日からフランス・スペイン連合軍が地中海にあるメノルカ島のイギリス軍セントフィリップ砦を包囲し、5か月以上後の1782年2月に陥落させた戦いである。これによってスペインがフランスの同盟国としてアメリカ独立戦争に参戦した主たる目的の1つを達成することになった。最終的に1783年パリ条約により、メノルカ島はスペインに割譲された。 == 背景 == メノルカ島の東端にはマオー港があり、地中海では最大級に水深のある停泊地である。地中海岸に拠点を持たない海軍国にとって、メノルカ島は大きな戦略的価値を持つものであり、その意味でイギリスは18世紀の大半でこの島を保持していた。港に入る狭い入口は、イギリス軍がセントフィリップ城とよぶ砦で守られていた。この名前はスペイン語の''el castillo de San Felipe''を翻訳したものだった。1756年にビング提督が砦を占有するよりも自分の艦隊の安全性の方が重要と判断し(ミノルカ島の海戦)、その後銃殺刑に処されて、他の提督達により積極的に任務を遂行させるようになった出来事があってから、砦はその外郭にあるサンカルロスとマールボロと呼ばれる小砦と共に著しく防御が高められた。その1756年の戦いではフランスが勝ったが、1763年に七年戦争の敗戦を迎え、メノルカ島は歴史的な結びつきが深く、フランスの同盟国であるスペインへではなく、イギリスに返還された。1779年4月12日、アランヘス条約によってスペイン政府はフランスとの対イギリス同盟を更新し、メノルカ島を奪還することをその主目標の一つに据えた。イギリスがもう一つ地中海出口に所有する要塞ジブラルタルを奪還することに比べれば小さな目標だったが、メノルカ島からイギリスを排除すれば、そこを拠点にして繁盛している私掠船の群れを排除できるので、これも重要だった。これら私掠船はメノルカ島知事のジェイムズ・マリーから免許を受け、イギリスの敵国と商売をする可能性のある船舶を捕まえていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メノルカ島侵攻」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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