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ナルメル(Narmer)は、前31世紀の古代エジプトのファラオである。セルケト(「さそり王」)の後継者で、エジプト第1王朝の創始者であると考えられている。 == ナルメルに関する研究 == 1898年に James Edward Quibell がヒエラコンポリスで発見した、有名な『ナルメルのパレット』には、上下エジプトのシンボルを示すナルメルの姿が描写されており、これによって、ナルメルが上下エジプトの統一者であると考えられるようになった。 従来はメネス(Menes)が最初の統一王とされ、マネトの王名表にもメネスが最初のファラオとして記載されていることから、エジプト最初のファラオが誰なのかについて論争が巻き起こった。エジプト学者の間では、メネスとナルメルが同一人物であるとする説や、ナルメルによって統一されたエジプトをメネスが継承したとする説、ナルメルの統一事業をメネスが引き継いで完成させたとする説などがある。 これら諸説と並んで論じられるのが、エジプトが統一されて間もなくナルメルがこれを引き継ぎ(この場合、統一王は「さそり王」ではないかと考えられる。彼の名前が刻まれたメイスヘッドがヒエラコンポリスで発見されている)、おそらく統一以前からすでに用いられていたであろう統一のシンボルを採用したという説である。 ナルメルが実在したという物証が多数ある一方で、現在のところ、メネスはマネトの王名表や伝承にしか登場しないということは特筆すべきであろう。 1994年の夏、イスラエル南部の Nahal Tillah で発掘調査隊が刻印の入った陶片を発見し、そこには「ナルメルのパレット」と同様、セレクに収まったナルメルの名が刻まれていた。この陶片は大きな円形の台の上から発見され、それは Halif Terrace にあった貯蔵庫の土台であったと考えられる。研究によって、この陶片は約5000年前、前3000年頃にナイル谷からイスラエルへ運ばれた酒甕の破片であると結論付けられた。 2014年、ヒエラコンポリスの遺跡でナルメルより古い墓とミイラが発掘された〔エジプトで5600年前の墓発掘 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナルメル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Narmer 」があります。 スポンサード リンク
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