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メルセデス・ベンツ・W196 () は、メルセデス・ベンツが1954年と1955年のF1世界選手権で使用したフォーミュラ1カーである。12戦中9勝を記録し、ファン・マヌエル・ファンジオが2年連続ドライバーズチャンピオンを獲得した。 == 概要 == 1951年より活動を再開したメルセデス・ベンツのモータースポーツ部門は、1954年からF1に2.5リッターエンジン規定が導入されることを見据えてF1マシンの設計に着手した。また、基本コンポーネントを共有するスポーツカーを並行開発してスポーツカー世界選手権に投入することも計画した。この2タイプのマシンは社内コードでW196R( (レーシングカー) )とW196S( (スポーツカー) )と呼ばれた。一般にW196Rはメルセデス・ベンツ・W196と呼ばれ、W196Sはメルセデス・ベンツ・300SLRの名で知られることになる。 開発が遅れたため、W196の初陣は1954年の第4戦フランスグランプリとなった。戦前のグランプリレースを席巻したナショナルカラー「シルバーアロー」の復活に注目が集まる中、W196は予選で1-2位を獲得し、決勝でもワンツーフィニッシュを果たした。この勝利はF1デビュー戦優勝として歴史に残り〔メルセデス・ベンツ以外にデビューウィンを記録したコンストラクターは、1950年のアルファロメオ(選手権開幕戦の優勝につきデビュー扱いとなる)、1977年のウルフ、2009年のブラウンGPの3例がある。〕、F1開幕以来続いたイタリアメーカーの連勝を止める1勝にもなった。この年は6戦出走して4勝4ポールポジション(優勝はいずれもファンジオ)。それでもマシンはまだ開発途上にあり、ファンジオ以外のワークスドライバーが表彰台を獲得したのは2度だけだった。 マシンを熟成して望んだ1955年はほぼ敵なしの状態だった。不参加のインディ500以外6戦に出走し、全車が同じエンジントラブルに見舞われたモナコグランプリ以外は5勝4ポールポジション。第4戦から最終戦にかけては4戦連続ワンツーフィニッシュした。イギリスグランプリでは4台で1-4位を独占し、この年チームに加入したスターリング・モスが地元で初優勝を達成した。 W196は選手権レースでないものも含め2年間に14戦中11勝し、グランプリカーの名車の1台となった。メルセデス・ベンツのレース活動休止後は自動車博物館に展示されている。 2013年7月にオークションに出品され、自動車としては史上最高値となる約3000万ドルで落札された〔Mercedes racing car used by Fangio sells for nearly $30 million 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メルセデス・ベンツ・W196」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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